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記事 - 19 4月، 2024

FIFAワールドカップ: 改革なければ廃止を

ワールドカップは、国際的な性質を持って然るべきで、一国または複数の国々の所有物ではない。この大会を、独占および搾取し、望み通りに変更する権利を持つ者などいないのだ。しかし実際、これがワールドカップの現状であり、すべての国家のものではなくなってきた。ワールドカップは特定当事者に独占され、ひどく搾取され、意図的にその利益にかなうように操作されている。表面上、人々の社会的及び精神的利益を促進する目的でワールドカップは創始された。しかし、この大会がもたらしたのは、この間逆の効果なのだ。

第一に、ワールドカップが生みだした致死的な疾患に注意しなければならない。サッカーマニアやサッカー中毒者が、精神および神経系障害を患う危険性が高いことは医学研究でも証明されており、今後もこれが明らかとなっていくだろう。そして、こうした疾患は、心臓発作、脳卒中、糖尿病、高血圧、早期老化の主な原因となっている。この一方、テクノロジーに過度に依存することで、人々の身体活動量は減少し、無気力、怠惰、肥満が蔓延している。スポーツはそもそも、礼拝のように他者に任せられない個人的なもの、または、集団礼拝のように皆で行う公共的な性格(大衆のスポーツ*)を持つべきなのだが、現在では、ワールドカップのような金持ちの独占機関が一人占めする、搾取目的の活動に変貌してしまった。大衆は、愚かな観衆という役どころに貶められた。

第二に、サッカーが生みだす憎悪、敵意、人種差別に注意しなければならない。

当初、ワールドカップの創始者は、逆の効果を期待していた。彼が存命なら、ワールドカップの廃止を真っ先に提案したことだろう。

彼は、ワールドカップが人類の調和を生み、一種の娯楽を提供することを期待していた。しかし実際に表面化したのは、友の間ですら起こり得る敵対心の波及と深刻化であった。人々の間に憎しみが生れたのだ。1970年大会は、エルサルバトルとホンジュラス間の戦争につながった。結果、3万人以上が死傷し、決して癒えることのない傷跡が残った。ワールドカップは、スポーツとレクリエーションを促進するための活動ではなく、搾取とゆすりの経済活動となり、後には買収事業とまで堕落していった。ワールドカップの名の下に資金は洗浄され、パスポートの偽造が行われた。この欺瞞的な大会は、チケット価格の暴騰で利益を巻き上げることを目的に開催されているのだ。腐敗は、死の強迫、身体的危害を及ぼすまで深刻化し、この堕落した大会を是正しようと試みる者は、膨大な金銭的、物質的な損失を被った。さらに、ワールドカップは、奴隷市場ともなっている。プレイヤーは国家およびクラブ間で売り買いされ、この人身売買が公の慣行として蔓延っている。

貧困国の若者は、富裕国の奴隷となったのだ。

アフリカから欧州とアメリカ、南米から欧州に流れる奴隷や人身売買は、ワールドカップで復活した。

アフリカ、南米、アジア諸国といった貧困国の貧乏人だからこそ、若いプレイヤーがこうした屈辱を受けているのだ。貧乏という理由だけで、彼らは金持ちクラブの奴隷キャンプに連れて行かれている。

FIFAを構成するクラブは、金持ちのクラブだけである。FIFAを操作する国とワールドカップの主催国は、富裕国だけで構成されている。貧困国は、ワールドカップを主催する栄誉を永久に享受することはない。

大会主催を望んでも、この栄誉にすべてを傾注したとしても、FIFAの会長や指導者に跪いて懇願しても、彼らはこの名誉を手に入れることはできない。これは何故か?!!ワールドカップを主催するには、富裕国しか実現できないような特定水準を満たす競技場が必要となるからである。

さらに、特定のインフラも必要となる。第三世界諸国の大半は、通信、運輸、空港、港湾、ホテル等の分野におけるインフラ整備の欠如に苛まれている。こうしたことから必然的に、ワールドカップ主催は富裕国の特権となってしまう。よって、ワールドカップは、国際的でもすべての人々のものでもないのだ。

ワールドカップによって、世界における極右と人種差別の傾向が強化された。この動かぬ証拠は、極右かつ人種差別の協会が、サッカークラブを支援していることにある。世界の良心はどこにいったのか。

世界中で良心を呼び醒ます必要がある。空虚のワールドカップに費やされる数十億という金銭を、貧困や病気の撲滅、環境保全を通した貧困者の生活改善に利用すればどうか。スポーツやワールドカップの賭けごとに数十億を浪費するより、遥かに全人民の利益となるのではないか。2006年のスポーツベットの総額は、2500億ドルを上回ることが予測されている。2004年の米国のスポーツ関連支出は、2000億ドルを超えている。英国人ジャーナリストアンドリュー・ジェニングスの著書にて、このスキャンダルと腐敗が明らかとなるだろう。欧州の民間報告書にて、既にこうした事実が部分的に公表されている。

ラジオやテレビでの試合の放送権までも独占されている。貧乏人は試合に参加することも、見たり、聞いたり、読んだりすることもできない。それは、金持ちだけが享受できる権利なのだ。

解決策:ワールドカップが義務付ける不公正な条件に関係なく、すべての国家がその能力に相応する形で、ワールドカップを主催する権利を与えられるべきである。大会は、特定地域または大陸における、複数の国々で分担すればいい。各国の収容能力に基づき、分担を決定するのだ。この解決策により、次の結果を生み出すことができる。

  1. 多くの国々が、直に大会を楽しむことができる。
  2. 主催国を増加すれば、それに応じてスタジアムに来る観客数も増える。

3.ワールドカップの不正や腐敗により、長きに渡り楽しみを奪われ続けてきた貧乏人は、不公平、不平等、憎悪といった感情を累積させているが、この解決策で、こうした負の感情を排除することができる。よって、ワールドカップの創始者であるフランス人のジュール・リメが思い描いた、社会貢献という前向きな大会目標を後押しすることができる。

  1. FIFAの収益増
  2. 大会の利益と損失は、多くの国々が共有・負担する。

6.自然災害や主催国の指導者の死など、予期しない緊急事態がもたらす大会の混乱、失敗、阻害を防ぐ。

7.貧困国が、少なくともスポーツ分野のインフラ改善を実施するなど、FIFAの予算を享受できるようにする。これは、貧困国にほんの少しの予算しか分配しないような、FIFAによる欺瞞的な現状とは違った体制を生むことができる。現状では、相場屋、搾取者、ゆすり屋、あらゆる物の売買屋の利益にかなうような目的(周知の目的)で、数十億という金銭が費やされている。

 

開催都市間の距離が遠いのも、安っぽい議論である。ワールドカップは、主催国内の複数都市で開催されるが、こうした都市間の距離は非常に遠く、同地域の隣国よりも時差が長いこともある。これが許し難い問題であるというのは、ドイツの12都市で開催された2006年大会を思い出すだけで事足りるだろう。都市間の距離が、ドイツと他の欧州国の距離よりも遠いこともあった。ハンブルクとミュンヘンの距離は600キロ以上で、ミュンヘンとベルリンは500キロ以上もある。それなら、ワールドカップの本大会を、これと同じまたは近い距離にある別の国で開催できないのは何故であろうか?米国は1994年、ワールドカップ本大会を主催した。試合は、ボストンとダラス、ボストンとスタンフォード、オーランドとボストンといった、数千キロも離れた都市で開催され、その時差は数時間ともなった。

 

最悪のシナリオとして、優勝国に次期ワールドカップの本大会を主催させるのはどうか?そうすることで、ワールドカップでチームが競い合うことに、実質上の意味を付すことができる。優勝国は、議論の余地なく、次期ワールドカップを主催する権利を得ることができるのだ。

 

これが解決策である。そうしなければ、ワールドカップは、世界の人々の健康および倫理にもたらす生死に係る危険性を鑑み、廃止されるべきである。大会は、問題、困難、混乱、嫌悪感、敵意を招き、愚行と集団的な無謀さや無責任さを蔓延させる。社会心理学的研究では、ワールドカップの異常なまでの熱狂的ファンの知能と精神発達度は、水準以下であることを明らかにしている。

 

ブラター氏は良識的な人物である。彼自身は堕落しておらず、私は彼を尊敬する。しかし、ワールドカップを改訂または廃止する能力が彼にあるかどうかは定かではない。

 

*スポーツ、乗馬、ショウ・見世物

(緑の書、第三部)

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