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スピーチ - 20 4月، 2024

敬愛なる革命指導者、アフリカの知識人に向けてアフリカのアイデンティティ・歴史的ルーツ・伝統文化遺産の保存を目指すアフリカ文化革命への戦略的ビジョンを語る

わが親愛なる兄弟アブドゥライ・ワッドと、このホールに来ている彼の政府のメンバーに挨拶を。私は姉妹セネガルを通じて、セネガル国民の男女1人ひとりとセネガルという国に敬意を表します。

 

ありがとう、親愛なる兄弟である大統領。この会合を始めるにあたって温かい言葉をいただいたことにお礼を申し上げます。また、われわれの兄弟であるアフリカ連合委員会委員長、アルファ・コナレ大統領にも敬意を表し、先日の開幕の辞の中でお言葉をいただいたことにお礼を申し上げます。また、今日はこの場にいらっしゃいませんが、オープニング・セッションに出席いただいたアフリカの指導者の方々にもお礼を申し上げます。最後に、わが兄弟であるアフリカの知識人の皆さんに敬意を表し、篤くお礼を申し上げます。

 

皆さんがわれわれの兄弟アブドゥライ・ワッドの招きに応じて出席してくださったことを、大変うれしく、また誇りに思います。ワッド大統領はまさに教師にして知識人かつ革命家であり、セネガルで政権を取った人気野党のリーダーでもあります。彼は知識人や、知識人の使命や役割を理解しています。私は、このアイデアを提案してくれたことに対し、彼に感謝します。そのアイデアが今回、実現したわけです。

 

私はロメで提案を受けて、彼の考えを支持しました。役に立つアイデアだと分かっていたからです。アブドゥライ・ワッド大統領は、アフリカに対して献身的な知識人で、歴史をよく研究しています。私がこの話をするのは、文化は第三世界の問題だからです。第三世界で開発や前進、進歩、民主主義や安定化が遅れている主な原因は、文化と無縁の統治者たちです。文化は指導者にとって、とても大切な資質です。

 

実際、私はこのアイデアにもこの出席状況にも、非常に感銘を受けています。特に有り難く思うのは、出席者の皆さんが遠い国々からはるばるいらしてくださったことです。そのことで、アフリカの知識人をとても誇りに思います。これは在外知識人たちの愛国心の証です。皆さんは故郷アフリカを離れ、世界の各大陸で散り散りに暮らしています。しかし、それでも故郷とのつながっており、故郷のために今日、ここに来ました。故郷の大陸を1つにまとめ、極端な要因のせいで非常に遅れてしまったこの地を今の時代に前進させたい、その一助になろうと努めている方々です。それを思うと、私は確信するのです — アフリカ人は、祖国をどれほど遠く離れても、決して祖国との結び付きを失わないのだと。

 

私自身は出席できず — 理由は、わが兄弟アブドゥライ・ワッド大統領がよくご存知です — そのことを大変残念に思っています。皆さんとご一緒したかったのですが、果たせませんでした。しかしながら、このような方法で、いくつか短い論を簡単にご紹介したいと思います。これから提案することを皆さんの計画に含めていただければ幸いです。もちろん私は皆さんを、皆さんの国リビアに喜んでお迎えします、いつ、どんな立場でいらしても、代理の方でもご自身でも歓迎です。

 

私は、アフリカは今、1つにまとまりつつあり、諸国の間で陽の当たる場所を求めていると感じています。アフリカが人種差別主義者の西洋の白人に卑しめられ、奴隷化され、残忍で粗暴な扱いを受けたことは、よく知られた悲劇です。まず第一に、統一アフリカを築くにあたって、われわれが直面する問題があります。私は知識人の方々に、アフリカの言語問題を解決していただきたいと思います。これは深刻で難しい、けれども基本的な問題です。われわれは2つの言語を使用しています。公用語と民衆語です。

 

公用語は植民地時代の言語で、英語、フランス語、ポルトガル語。民衆語はわれわれが話す非公式の言語で、アフリカに全部で800〜1000種類ある方言のすべてが該当します。公用語には文字化あり、書き表すことができますが、真のアフリカ語である民衆語は書き表せません。われわれが直面しているジレンマの1つは、父祖の言葉であるアフリカの民衆語に文字がなく、書き表せないという点です。これは、われわれが解決せねばならない問題です。ただし、ラテン文字(ラテン文字)をアフリカ語に組み込むというやり方ではダメです。それではアフリカ語が損なわれてしまうので、今すぐ頭から捨ててください。

 

これまで非ラテン語系の言語にラテン文字を導入した例では、いずれも当該言語とラテン文字の両方が損なわれました。言語とラテン文字が合わず、言語が力を失ったのです。これはトルコ語ほか、ロシアなど、ラテン文字を導入した他のいくつかの国にも見られます。一方、中国や日本やアラビア語の文字は、言葉の意味によく合っています。

 

もしわれわれが、アラビア語を書くのにラテン文字を使ったら、意味が全く失われてしまうでしょう。ですからラテン文字は完全に頭から捨てねばなりません。とはいえ、われわれの母語のことも考えなくてはいけません。それは、海外在住者も故郷に留まっている者も含めて、アフリカの知識人の責務です。

 

どうすればアフリカの諸言語を書き言葉にできるでしょうか? また、それらを1つにまとめるには、どうすればいいでしょうか? 800〜1000種類もある言語をすべて話すことはできません。どうやって子供たちに教えたらいいでしょう? 私は、この問題を解決するには、主要な言語を3〜4種類選んでアフリカ全土の学校で教えるべきだと思います。国の必修科目にしてもいいでしょう。それがアフリカ人の望みだし、そうすれば統治者や政府がこの決定から逃げることもできません。言語は大切です。アフリカの宗教や文化、伝統、美術、音楽や民俗には、父祖の言語を通してしか、かかわることができないからです。

 

これらの言語を失えば、われわれは自分の過去や歴史、ルーツとのつながりを失います。私は、皆さんがこのジレンマを解決できるよう願っています。当然ながら、スワヒリ語、アラビア語、ハウサ語、アムハラ語を採用しようと言う指導者もいます。つまり3〜4言語をアフリカ中で必修にして、その一方で、話し言葉の諸言語も教え続け、家族や大衆レベルで話されるようにする、というやり方です。このジレンマの解決は絶対に必要なので、私は、皆さんがこれに最大限の関心を払ってくださることを願っています。でないと、われわれは過去を失い、宙ぶらりんの根無し草になってしまうでしょう。

 

第二は、アフリカの宗教です。残念なことに、アフリカが神を知ったのは西洋による植民地化でキリスト教が入ってきた後にすぎない、と言われます。これは屈辱的であり、歴史上の大きな欺瞞です。知識人である皆さんはご存知です。アフリカが神を知ったのは1885年のベルリン会議後にすぎないなどということが、どうしてあり得るのでしょう? アフリカはベルリンが建設されるより前、ヨーロッパに人が住むようになる前に、既に神を知っていました。アフリカは神を知っていたのです。私はアフリカの神学や諸宗教を勉強しました。それで知ったのですが、アフリカの諸宗教は、一般に言われているのと違い、多神教ではありません。

 

アフリカの諸宗教は、アブラハム — 彼に平安あれ — の宗教と同じく一神教です。宗教はアブラハムに始まり、最後の預言者ムハンマドと共に完成しました。アフリカの諸宗教は一神教です。私はコーランとアフリカの諸宗教を比較して、それらが一神教であり、イスラムと共通点が多いことに気付きました。アフリカ諸宗教の聖典には、神の美名が出てきます。イスラムにおける神の美名は、唯一なる者、栄光の主、頼るに足る者、創造者、授ける者、所有する者、天主、至高者、悠久の者、創始者などです。

 

これらはコーランに登場する神の美名の一部ですが、アフリカの古い諸宗教と完全に一致しています。西アフリカ、ナイジェリアのウルバ族の言語に、“古きマーリー”という言葉があります。“唯一なる者、栄光の主、永遠なる者、頼るに足る者”という意味です。

 

この“唯一なる者、栄光の主、永遠なる者、頼るに足る者”という言葉はコーランに、神の属性として出てきます。ウルバ語で“アリス”といえば。存在の唯一の源という意味で、“最初の創造者”と同じ意味になります。マラウイのティンブカ語の“ジョビ”は、コーランに出てくる“授ける者”と同じ意味です。ウガンダで“カジェンジョ”といえば宇宙の主のことですが、コーランでも神がこう呼ばれています。ブルンジで“ロショブラ・フォウズ”といえば、コーランの一節「最後の審判の日の主宰者、わたしたちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願う」の“主宰者”のことです。さらに、ケニアのロウ族が“ニャカランガ”といえば“悠久の者”のことで、エチオピアで言う“ワク”は“天主”、エチオピアのザーラ語で“ソウサ”は“宇宙の主”。シエラレオネのミンディ語の“ライフィ”は“至高の創造者”の意味です。神の99の美名を片端からおさらいすることはしませんが、全部がアフリカの諸宗教の中にも見つかるのです。言語の話は、ここまでです。

 

アフリカの諸宗教について言えば、われわれはアフリカの宗教に回帰しなくてはなりません。今は、ジャングルの宗教だと言われていますが、そうでしょうか? われわれには、われわれの諸言語やこれらの一神教を回復してくれる文化革命も必要です。

 

私は、自分がどんな立場で話しているか分かっています。私は信仰者で、ムスリムです。私は、アフリカ諸宗教への回帰は偶像崇拝抜きの純粋な宗教への回帰であると知っています。彼らはわれわれに「あなたたちは、西洋による植民地化の後に神を知った。あなたたちに神やキリスト教や宗教を教えたのはわれわれだ」と言いますが、これは残念なことです。さて、アフリカの言語や宗教の話をしたので、今度はほかの話をしましょう。道徳的には比較になりませんが、やはり重要なことです。

 

それは、アフリカの住まい、アフリカ式コテージ(小家屋)のことです。私は、知識人や建築家がアフリカ式コテージの消滅を防ぐ策を打ち出してくれないだろうかと思っています。アフリカ式コテージが、セメントやコンクリートや、スカンジナビアやエスキモーやアイスランドやグリーンランドやアラスカにふさわしい建物に取って代わられて消え去るのを許してはなりません。

 

そうしたものは、アフリカに持ち込むべきではありません。われわれには適さないからです。アフリカの環境や気候、慣習にふさわしいのはアフリカ式コテージです。コテージは、地元で簡単に手に入る材料を使い、家族が自分たちで建てるので安価です。われわれは何世紀も前からコテージに住んでいますが、何も害はありません。それどころか、とても健康的です。コテージは衛生的です。空調も要らないので、ヨーロッパからエアコンを買う必要もなく、エアコンに注入するガスも要りません。風通しがいいので、人工的な換気も不要です。

 

私は、アフリカ式コテージが保存され、環境や伝統について研究が行われることを願っています。それがアフリカ式コテージの保存に役立つからです。それというのも、私は西アフリカや中央アフリカ、東アフリカやアフリカ南部の多くの地方を訪れたことがあります。車で移動したので、よくコテージを見かけました。村々を訪問しては住民の様子を見て、膝を交えて話したものです。私が見たところでは、家族の1人ひとりが自分のコテージを持っていました。台所のコテージ、居室のコテージ、別所に動物用コテージもありました。私が冗談で、あるアフリカ人に、「高級車を1台あげようか? キャデラックかメルセデスかロールスロイスのような」と言うと、彼は言いました。「車は要らない。私はここに落ち着いているし、何でも持っている」

 

そこで私は言いました。「なるほど、では舗装道路を造ってあげようか?」彼は言いました。「道路を何に使うのだ? 土地はそのままにしておいてくれ。私は果物のなる木を持っているし、穀物を育てている。木の下で暮らす動物も飼っている。水が必要なときは、近くに川がある」もしわれわれが彼のために舗装道路を造り、車を与えてコンクリートの家を建ててやったら、たぶん彼をダメにして、コンクリートの地獄に落とすことになるでしょう。どうかアフリカ式コテージを保存してください!

 

私は、皆さんの歴史的会合で、言語や宗教やコテージやアフリカ風の服装について何らかの結果が出ることを願っています。アフリカ風の服装がヨーロッパ風の服装に取って代わられないように願っています。ヨーロッパの気候はわれわれの気候とは違うし、彼らの建物はわれわれの建物とは違います。われわれは自分の足で歩いたり役畜に乗ったりしますが、彼らは衛星や列車に乗るのです。

 

アフリカ人宇宙飛行士が誕生したら、その人は宇宙飛行士の服装をするでしょう。しかし今、われわれの子供や女性や年寄りや親族は、アフリカ風の服装にこだわらなくてはいけません。アフリカ風の服装は、アフリカの雰囲気や環境にふさわしくできています。どうか、いきなり西洋化しないでください。そんなことになれば、われわれは醜く歪んでしまいます。われわれの宗教は歪められ、われわれの言語も歪められました。われわれの住まいも歪められるかもしれず、その次はおそらく、われわれの服装が歪められてしまうのでしょう。その後は、彼らはわれわれの食品や飲物や料理を変えてしまうでしょう。

 

アフリカ料理やアフリカン・フードを変えてはいけません。われわれは、アメリカやヨーロッパに眩惑されるべきではありません。欧米のレストランに行くと、彼らがゴキブリやカエルを食べているのが目に入ります。彼らはいろいろな料理を作りますが、それは彼らには適していても、われわれには適しません。ヨーロッパには、われわれアフリカ人が食べたら命を落としかねない食品もあります。

 

私は、1966年に中尉としてイギリスへ研修に行ったとき、イングランドの人々が子供にこう言うのを耳にしました。「Rのついていない月には豚肉を食べてはいけませんよ。5月(May)、6月(June)、7月(July)、8月(August)のことですよ」この4カ月は夏なので、豚肉は毒です。暑い所に住むわれわれがその時期に豚を食べると、体に非常に悪い可能性があります。これは医学的にも証明できます。アフリカ料理やアフリカン・フードはわれわれにも、われわれの自然や環境にも適しています。われわれが肉を食べたり乳を飲んだりする動物や、われわれの土地や土、そこに育つ植物は、彼らのものとは違います。ですから私は、彼らがわれわれの服装や食べ物を奪わず、われわれの台所や家、宗教や言語に入ってきて、われわれのアイデンティティを作り上げているものをすべて奪うことがないように願っています。

 

私はアフリカに、独自の価値基準と安定を備えてもらいたいと願い、そのことについて書いています。私は“Algathafi Speaks(カダフィ語る)”というウェブサイトを持っています。アドレスはwww.algathafi.orgです。アラビア語、英語、フランス語でアクセスできます。私はいつもこのサイトに、世界に向けて意見を書きます。これまでに、アフリカにおける権威や安定について書きました。皆さんに読んでいただきたいと思います。

 

アフリカには権威と安定が必要です。ご存知のとおり、植民地主義後のアフリカは、ンクルマ、ベン・ベラ、ナセル、ニエレレ、ルムンバ、モディボ・ケイタ、カウンダら偉大な指導者たちの手によって、解放のフェーズ(局面)を経験しました。彼らはアフリカ統一機構(OAU)の“創設の父”です。しかし、植民地主義側は陰謀を企て、彼らを地位から追って、自分の取り巻きとすげかえることに決めました。実際、クワメ・ンクルマは失脚させられ、ルムンバは肉体的に消され、モディボ・ケイタも失脚させられました。ナセルは60回、アーメド・セク・トゥーレは40回、暗殺未遂に遭いました。デリケートな点もあるので、そのすべてについて語ることはしませんが、要するに、アフリカはこれらの指導者の下で黄金時代を経験したのです。彼らはOAUを創設し、解放への意志と、アフリカを統一・前進させる決意を示しました。しかし植民地主義の陰謀で、地位を追われたのです。

 

この段階の後、アフリカは軍事クーデターのフェーズに入りました。アフリカの統治者たちは、軍事学しか知らない軍人になりました。下士官から昇進した将校もいれば、下士官たちが自らクーデターを起しすこともありました。彼らは政治や経済にも、社会やテクノクラシー、マネージメント、科学にも疎かったので、アフリカのリーダーシップは低下しました。こうしてアフリカは、軍事クーデターという茶番劇をいくつも経験したのです。私自身が証人です。

 

アフリカではどの国も3、4回のクーデターを経験しました。その結果は将校の連続と、不安定の時期だけでした。その次に起きたのは第3のフェーズ、多元主義と選挙の段階です。クーデターは選挙に似ています。アラビア語では、この2語は韻を踏みます。英語やフランス語については分かりませんが。

 

これによって大統領が4年ごとに次々と交代する状況が生まれ、一層の不安定化につながりつながりました。また、国によっては、大統領の任期は憲法で2期までと決まっています。しかし良い大統領なら、なぜ2期が終了した時点で民意を無にしなくてはならないのでしょう? 国民が彼を望むなら、彼は機会を与えられるべきです。アフリカ諸国の憲法は、それを考慮しなくてはいけないと、私は思います。民意に条件を押し付けないためです。もし国民が1人の大統領を1回でも2回でも10回でも選出したいと望むなら、憲法はそれを可能にすべきです。

 

実現したい計画を持つ有能な大統領を、なぜ国民から奪わなくてはならないのでしょうか? 現状では、彼は計画を実現できないうちに、ほかの誰かに地位を譲ることを余儀なくされます。その誰かは彼と正反対で、元の計画を中止するかもしれません。選挙はわれわれに安定をもたらさず、何ら益がありません。多元主義は、世界銀行やWTOやIMFやEUやアメリカの指図に従うだけの、単なる形式です。彼らは皆、援助や融資の条件として、多元主義の確立を要求します。

 

アメリカ自体は多元主義ではありません。イギリス、スペイン、イタリアも同じです。これらは皆、1党支配の国です。アメリカは、大統領と1つの党に支配されています。早い話が、党は2つあるものの、どちらも単なる足場で、本当の政党ではないのです。ではアフリカはどうでしょう? われわれアフリカ人は政党を知りません。われわれは部族であり、人民によるジャマヒリア制度や人民会議、人民委員会のほうに近く、われわれにはそうした制度の方が政党より適しています。われわれの人民は政党どころか、選挙すら知りません。

 

たとえばエジプトは独立して長いですが、それでも上エジプトで選挙が行われたとき、1人の市民が「誰に投票するのか」と訊かれて、「サアド・ザグルール」と答えたそうです。人々は、サアド・ザグルールは1920年に死んだけれど、国民はまだ彼を覚えているのだと言いました。近隣の、やはりアフリカの国では、候補者の写真が配られました。人々が箱の写真を見て、誰が誰だか分かるようにです。人々は写真を持ち帰り、家に飾りました。なぜ投票しなかったのかと尋ねられて、彼らはこう答えました。「あの人の写真は、持ち帰って家に飾るものだと思ってた。知らなかったよ!」われわれの人民は、国民投票すら知りません。こうしたことは、われわれには適していないのです。

 

実を言えば、われわれはまた別の不安定なフェーズに入っています。選挙と多元主義のフェーズでが失敗であることが分かると、また別のフェーズに入ったのです。反乱のフェーズです。選挙で選ばれた大統領が、任期終了前に反乱に直面する — そういう例がいくつもあります。コートジボワールでは、選挙で選ばれた大統領が反乱に直面しています。リベリアでは、選挙で選ばれた大統領が地位を追われました。同じことがギニアビサウでも、サントメ・プリンシペでも中央アフリカでも起きました。サントメの大統領はその後、ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)のおかげで復帰しましたが・・・。スーダン、チャド、ブルンジ、ルワンダ、ウガンダでも反乱が起きました。ということは、選挙では問題は解決しなかったのです。

 

われわれには安定が必要です。安定には政治的リーダーシップの継続性が必要です。権力は、人民会議と人民委員会を通じてコントロールしなくてはいけません。安定しているのは大衆と人民会議と人民委員会だからです。しかし、権威ある存在も必要です。機能不全が起きた際は、権威が必要になります。シエラレオネやリベリアや中央アフリカやブルンジのようにです。世界には、ご存知のとおり、王や女王が政府の行政機関や立法機関の一部でなく、こうした機関が対立した場合に審判の役目を果たす、予備の権威となっている国もあります。

 

このような権威は絶対に必要です。もし、それが国王や終生大統領 — 独立直後のフェーズのアフリカは、このケースでした — というかたちで体現されないなら、法的権威がなくてはなりません。しかし、これはアフリカでは疑問です。欧州諸国や世界の他の国々には、王や大統領という権威が存在します。彼らは行政・立法・司法とは無関係ですが、意見を聞けるように、そこにいるのです。王制のない国には、最高裁判所や憲法裁判所といった法的権威があり、その判決は拘束力を持ちます。しかしわれわれには、そのような裁判所がないし、拘束力のある判決を出せる公平かつ安定した裁判所を創設することもできません。政府が設置する裁判所は、どうしても政府に寄りになります。だから何らかの権威がなくてはならないのです。

 

ほかには、故郷アフリカとあなたの移住先の国との間に、つながりを作るべきです。外交政策や経済、防衛は一本化しなくてはいけません。そうすれば最終的には、1つにまとまった立場で交渉できるようになるでしょう。アブドゥライ・ワッド大統領が先日、皆さんにこんな話をしました。石油探査のためにセネガルに来た外国企業が言いました。「われわれの取り分が85%、セネガルが10%か15%なら、石油を探査します」そこで彼は答えました。「いや、それなら石油は後代のために地下に残しておこう。後代の者たちなら、もっと良い、逆の条件で交渉できるだろう。セネガルの取り分が80%で企業側が15%か20%というように」

 

これが正しい姿勢のように思えます。革命前のリビアはこの状況でしたが、後に逆になりました。しかし問題は、アフリカの国々は別々では、強気で交渉できる立場にないということです。

 

たとえば、リビアやセネガル、ガンビア、マラウイ、ブルンジの力は、アメリカやヨーロッパの巨大企業や、日本、中国、スペインや、旧ソ連の国々からなる独立国家共同体や、環太平洋地域の国々と比べて、どれほどのものでしょう? これらの巨人の前で、われわれにどれほどの交渉力があるでしょうか? 強気で交渉できる立場を手に入れない限り、われわれに前途はありません。そうした立場を得る方法はだだ1つ、アフリカ全体として外務大臣を1人と、対外貿易大臣を1人置くことです。こうすれば税関も統一され、商品が南アフリカに入ろうがリビアに入ろうが、同じ関税がかかるようになるでしょう。

 

外務省を1つにすれば、外国からのコンタクトも1つの機関を通してということになります。また、防衛もアフリカ全体で一本化する必要があります。こうしたこと — 経済、対外貿易、外交政策、防衛 — はすべて、互いに関連しています。私は、皆さんの会議が、こうした案を支援する方策を採用し、また、アフリカ連合各国の政府に継続的に圧力をかけて、1つのアフリカ外務省、1つのアフリカ対外貿易省、1つのアフリカ防衛を実現させるよう願っています

 

当然ながら、アフリカ連合が創設されたとき、私は単一のアフリカ会議の設立を提案しました。これは実のところアフリカ民族会議の延長でした。解放段階でアフリカのほどんどの国に設立された機関の名前です。この名称の下で、アフリカの多くの国が独立を果たしたのです。

 

私は、このアフリカ会議のようになってほしいという願いを込めて、こうした歴史的な呼称から、アフリカ会議という名前を取りました。アフリカ会議には法律を公布する権利を持たせます。そうなれば権力はアフリカという国、アフリカ人民、会議のメンバーである一般アフリカ市民の手に戻るでしょう。

 

海外在住の皆さんの将来は、洋々たるものかもしれません。皆さんの中には、アメリカやラテンアメリカ、中央アメリカ、ヨーロッパで重要な地位に就いている方もいます。しかし、私は気づくのですが、黒人が重要なポストに就くと、われわれの期待を裏切って、ヨーロッパ文化やアメリカ文化を過剰に受け入れ、当のヤンキーよりヤンキーらしくなってしまいます。言葉を変えると、王よりも王びいきになってしまうのです。

 

なぜわれわれは、彼らの機嫌を取らなくてはならないのでしょう? ちょうど、いい例があります。アメリカのユダヤ人は、彼らが1948年に一方的に建国した国 — 彼らはイスラエルと呼んでいます — に対して非常に忠実で、国の資源をすべて、この小国家の支援に活用しています。しかし、だからといってアメリカ市民権を返上したり、アメリカヘの忠誠を捨てたり、テロや暴力や武力に走ったり、分離を求めたりはしていません。

 

彼らはアメリカへの愛国心を大げさに強調するけれど、それを彼らが祖国、“約束の地”と考える国のためだけに活用します。黒人はなぜ、欧米で重要な地位を占めても、その国の市民権を故郷であるアフリカのために活用しないのでしょうか? この地雷は爆発させねばなりません。われわれは黙って真実を見過ごすのではなく、これについて話し合うべきです。アメリカでもです。われわれは皆、アメリカに行けばアメリカ人になります。

 

アメリカ人という単独の人種や国籍はありません。アメリカ人はアフリカ人であったり、中国人であったり、ヨーロッパ人であったりします。しかしアメリカに行けば皆、アメリカ人になるのです。アメリカと呼ばれている土地は、ヤンキーでも白人でもない、インディアンの土地です。インディアンはアジアやアフリカから移住した人々ですが、誤ってインディアン(インド人の意)と呼ばれました。彼らはアメリカの原住民であり、国土の所有者です。ほかの者たちには、権力や富を独占したり、他人を押しのけてアメリカを独り占めしたりする権利はありません。

 

アメリカでは、われわれは黒人も白人も黄色人種も有色人種も皆、平等です。アメリカはわれわれ皆のものです。あらゆる民族がアメリカを作ったからです。ですから私は恥じることなく、アメリカに対する権利を主張します。アメリカで声を上げるとき、私はよそ者ではありません。あなたも、どんな状況でアメリカに渡ったかにかかわらず、そうなのです。今はアメリカ市民なら、なぜ弱気な態度で、白人の機嫌を取って自分の地位を守り、彼らに認められようとするのでしょう?

 

あなたが不満を抱いていたら、彼らにとって脅威です。故郷から動物のように引き離され、奴隷のように船で運ばれたことに対し、あなたが復讐を目論み、分離を呼びかけるかもしれないからです。彼らはあなたを大洋の彼方に運び、沼地の干拓や鉄道建設に従事させました。彼らの方こそ、われわれの機嫌を取るべきです。われわれの祖先を恐ろしい目に遭わせておきながら、われわれは何も言わず、アメリカ人であることに満足しているはずだ、奴隷制度のことも、病気になったり逆らったりした祖先が海に投げ込まれた頃のことも忘れただろう、と考えたのは彼らなのですから。でもわれわれは、何一つ忘れていません!

 

あと少し、手短にお話ししたいことがあります。私はアフリカの知識人の皆さんに、この機会にぜひ『緑の書』を手に取っていただきたい。『緑の書』をよく読んで、アフリカで活用するよう呼びかけるべきです。そうすれば、新たなアフリカの建設に努力する過程で、様々な落とし穴を避けることができるでしょう。その際、みだりな模倣は避けるべきです。われわれの環境は、輸入物の社会や経済、政治には適していないのですから。皆さんが『緑の書』を読んでくださること、われわれが人民主権に立ち返ることを願っています。

 

わが兄弟ワッド大統領、コナレ大統領。私はこの会議の結果、海外のアフリカ人同胞たちが、われわれからのコンタクト先になる団体か組織を結成できるよう、手助けを受けられるように願っています。そうなれば、われわれは海外に住むバラバラの個人ではなくなります。さっきも言いましたが、ユダヤ人はどこにいても、移住先の国に忠誠を捧げつつ、その国を利用して“祖国”のために尽くします。われわれアフリカ人も、そうならなくてはいけません。われわれ黒人は、住んでいる国に忠誠を尽くすべきですが、その忠誠を、故郷の大陸のためにも活用すべきです。

 

私は、皆さんがアフリカ合衆国設立のスピードアップを強く呼びかけてくださるよう願っています。ですから、アフリカには国が多すぎて統一は難しい、などと言わないでください。そんなことは全くなく、われわれのサイズは1国のサイズに相当します。さらに、われわれは1国家、1色、1人種であり、1言語を形作っているのです。

 

われわれは1つの宗教、1つのアイデンティティを持っており、人種が違うなどという言い草は認めません。アフリカにいる人種はただ1つ、アフリカ人種だけです。他所から来てアフリカに定住した人々も、結局はアフリカ人になりました。北アフリカに入ってきたアラブ人も、本人たちが意識しないうちに、今はアフリカ人です。5000年前に入ってきた一部のアラブ人が、アラブ系のべルベル人です。イスラム誕生後、今から1000年前に入ってきたアラブ人は後に黒くなり、今ではそれ以前に入ってきた人々と同じアフリカ人です。アフリカに来る多くの人は、彼らがアラブ系とは知りません。インド系やインドネシア系の人もいますが、彼らも今は「われわれはインド人だ、インドネシア人だ」とは言わず、「われわれはアフリカ人」だと言います。皆さんは、1つのアフリカ語、1つのアフリカ外務省の実現を目指し、アフリカ合衆国設立のスピードアップに力を尽くすべきです。

 

さらに、頭脳流出の問題もあります。われわれが教育のために送り出している子供たちが、二度と戻ってきません。工場や、彼らが外国で学んだ科学技術が、アフリカにはないのです。これは大きな損失です。われわれは幼稚園から大学まで、植民地主義の国々のために子供たちを教育していることになるからです。卒業すると、彼らはさらに上の教育のために海外へ行き、そのまま居着いてしまいます。これはわれわれの損です。このジレンマについて、われわれはよく考えるべきです。皆さんは、われわれが失う者たちとつながりを持たなくてはいけません。そうすれば、彼らも在外アフリカ人コミュニティに入ってくるでしょう。皆さんは彼らの良き助言者となり、彼らが学んだことをアフリカ大陸や、卒業まで教育を受けさせてくれた母国のために生かせるように図らねばなりません。

 

オーストラリアやアメリカ大陸の一部の、もともとアフリカ人が住んでいた国でも、白人が、まるで先住者であるかのように、国を支配しているのを目にします。この状況を続けさせるわけにはいきません。われわれはアフリカ周辺の島々や他の国々に広く移住しているのに、アメリカやオーストラリア、イギリス、カナリア諸島、モルディブやレユニオンで、いまだに外国人なのはなぜでしょう? これらはわれわれの国です。われわれは誰もいない国に行って定住した先住者で、彼らはわれわれより後に来たのです。

 

私は、われわれの栄光、歴史、文明を改めて喚起したいと思います。われわれが課題に立ち向かう準備をし、自信を持てるようにです。われわれは奴隷ではなく、彼らより先に神を知っていました。彼らより先に文明を持っていました。ヨルバ帝国、コンゴ帝国、ダオメー帝国、マリ帝国や、アシャンティ、サヴァナ、キナラといった王国・・・これらは、われわれは文明国であり、文明化した民であることを示しています。

 

私はこの集いに敬意を表し、皆さんを誇りに思います。私は皆さんに手を指し伸ばして、こう言いたいのです — 皆さんの姉妹であるリビアが皆さんのお役に立ちます、リビアは皆さんの国です、と。わが兄弟である知的かつダイナミックなリーダー、アブドゥライ・ワッド大統領に敬意を表します。知識人の価値を知っているコナレ教授にも敬意を表します。お二人が力を合わせて、こうした活動を主催してくださいました。われわれはお手伝いしただけです。

 

最後になりますが、私は以前、アフリカのすべての国々に、ガブリエルの故郷について知らせてほしいと頼んだことがあります。彼は1800年に、アメリカで奴隷制度に反対する正真正銘の革命の先頭に立ったため処刑されました。彼は革命を企て、数千人の奴隷とリッチモンドの街を襲いました。黒人のための独立国建設が目的でしたが、逮捕されて処刑されたのです。私はガブリエルの処刑200周年に記念碑を建てようと、彼の故郷を探したのですが、今のところ答えは受け取っていません。皆さんが調べて、答えを見つけてくださるよう願っています。そうすれば彼の故郷アフリカに記念碑を建てることができます。

 

皆さんに敬意を表します。皆さんに平安がありますように。アフリカ万歳! アフリカ合衆国万歳!

 

闘争は続くのです!

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