敬愛なる指導者のケンブリッジ大学の教員と学生に向けた講演
神の名にかけて――、
ケンブリッジ大学の教員と学生の皆さま、こんばんは。
皆さまに講演する機会をくださりありがとうございます。数カ月前にもオックスフォード大学から同様の機会をいただきました。その時は衛星放送を通じて学生たちに語りかけました。本日も同じ方法で皆さまにお話します。
ケンブリッジやオックスフォードといった一流大学の学生、そしてまた世界中の大学生たちが、 私たち一人一人に影響する現代の喫緊の課題にこれほどの関心を示すことを心強く思います。世界にはいくつもの問題があります。これらは私たちが暮らす場所から遠く離れたところで起きているように見えますが、これらはプラスであれマイナスであれ私たちの生活に確実に影響しています。
世界はひとつの村になりつつあると言われています。このグローバルな共同体でもってあらゆる物事を調整しなければなりません。その住民は平和と調和の中で暮らさなければなりません。宇宙で唯一のこの村を戦争で破壊しないよう、人々はお互いに協力する必要があります。広大な銀河群を見ますと、私たちのいる太陽系は宇宙のごく小さな点にすぎないことがわかります。銀河系だけを見ても、私たちの太陽系はちりのようなものです。しかし、私たちは宇宙の中で知られる限り、唯一の知性ある生命体です。これが悲劇の元なのです。唯一知られる知性的な種族が平和と調和のうちに生きることができないのはなぜでしょうか。なぜ、私たちはお互いを傷つけあい、この小さな惑星を破壊の危機にさらしているのでしょうか。
このような感情が次第に広まりつつあるようです。今回の講演依頼がその証拠です。私たちは問題を解決するために人間としてお互いを知る必要があります。この時代の風潮と情報通信革命は距離というものを無くしました。どのような遠い場所であれ、すべての出来事が私たち全員に影響するようになっています。
皆さまのご要望通り、本日はいくつかの解決すべき重要課題についてお話します。
今月27日に国際会議がリビアのスルト市にて開かれます。こじれたダルフール問題の解決を図るのが目的です。全世界の懸念事となったこの問題に取り組みたいと考えています。それぞれの国で将来のリーダー、政策決定者となる皆さまが、この問題に関して私の考えを共有することは重要なことと思います。皆さまがこの考えをメディア、国際会議の参加者、各国の世論に訴えるものと信じています。他の多くのアフリカの問題と同じく、ダルフール問題は第一に部族の問題であると認識しています。この問題が実は一頭のラクダをめぐる喧嘩に端を発していると聞いて、驚き、おかしく思う方もいるかもしれません。これが今や国際的な問題となっているのです。
アフリカには数千もの部族が存在します。これらの部族が水と牧草地をめぐって争います。アフリカ大陸は50もの国に分かれています。それぞれの部族 がいくつもの国にまたがって居住しています。これらの部族は統合を望みます。部族問題にはきりがありませんが、進歩はそれに終止符を打つことができます。アフリカの人々が原始的な段階から脱却すれば、部族生活は終わり、したがって部族紛争も止みます。これまでの失敗は、このような部族間の争いを政治化することにあります。ダルフール問題がその一例です。一頭のラクダをめぐる数人の喧嘩が国際問題に発展したのです。過去にも似たような事件は私たちの知らないうちにいくらでも起きていたし、解決されていたでしょう。それなのに、なぜ、ダルフール問題は政治化され、国際化されたのでしょうか。
そこで大国の野心というものが絡んできます。鍵となるのは石油です。これらの国が問題を増幅させる要因です。そうして国際的な勢力と大国の勢力が必要となる素地ができます。その地域の石油利権獲得が彼らの狙いです。ダルフールの出来事を動かしているのは、この地域そしてアフリカ大陸全体に経済的な関心を持つ勢力であると言っても過言ではありません。皆さまにとっては初耳かもしれません。だから今、私の話を聞くことが重要です。
私はアフリカを知っています。アフリカ中を旅してきました。アフリカの国々、国境、部族の事情にも通じています。アフリカを2万キロメートル以上旅してきたのは世界広しといえど私だけでしょう。畑を耕す農家の人々にも会いましたし、牧草地の遊牧民も見ましたし、彼らの小屋も訪ねました。彼らの生活を私は知っています。私はケニアータ、ナセル、ハイレ・セラシエの時代からアフリカの問題と発展を見続けてきました。現在の国家首脳でこれらの人物を直に見た人は皆無です。彼らの時代から私はアフリカ問題を見続けてきたのです。
部族問題はこれまでいくどとなく起きては消えていきました。これらは国際化されないものでした。
しかし、ここにきて、これらの部族問題が取り立てて国際化しています。いかなるアフリカの部族問題であれ、国際化ないし政治化は禁物です。それによって深刻な結果がもたらされるからです。ダルフール問題は根本的に、政治的でも社会的でも、はたまた経済的な問題ですらありません。これは単純にローカルな、農家と遊牧民の間の部族的な問題です。農家と遊牧民の間の諍いは世界中どこでも普通に見られます。これらは地域社会ないし部族の介入で解決するものです。部族には独自に築き上げてきたしきたりや慣習があります。スーダン共和国の一部となっていますが、ダルフールには独自の王やスルタンが存在することを、皆さまはご存知ないかもしれません。この国にはいくつもの王国やスルタンの支配する「くに」が存在します。これが私たちアフリカの部族構造なのです。これは尊重すべき良き社会システムです。ダルフール問題にしても、地域を治める王やスルタンの仲裁にまかせていれば問題は解決されていたでしょう。近隣諸国あるいは国際的勢力の介入は、そうした問題を解決できるはずの地域社会の力を麻痺させます。
ダルフールには貧しくて飢えている人がたくさんいます。ダルフール問題が国際化すると、国際機関や援助国は救援物資を差し出し始めました。貧しい人たちはこの問題が国際的な性格を帯びたことで国際的な援助を受け続けられることを非常に幸いとし、神に感謝しました。私たちはこの問題の長期化に手を貸しています。国際的援助は火に油を注ぐだけです。人々は自分の村を離れて難民キャンプに移り住みます。戦争と暴力のために難民とならざるを得なかったと主張します。しかし、真実はそうではありません。彼らは国連、援助国、その他の国際的慈善団体から来る援助物資を目当てにやってきます。日中に食料や衣類を受け取りに来て、夜にはこの目的でのみ作られた「キャンプ」に受け取った援助品を持って帰ります。これらの人たちはダルフール問題が解決されないことを願っています。問題に終止符が打たれると、援助も打ち切られるからです。援助が続くことを願っているのです。誰がこのような門戸を解放してしまったのでしょうか――それは私たちです。援助物資がなければ、そしてもし私たちがダルフールの問題を地元の人たちにまかせていれば、援助目的だけで難民キャンプが作られるようなことは起きなかったはずです。援助が受け続けられる限り、問題が存続することを望んでいる人も一部にはいます。
また、これまで知られていなかった地域の指導者も出てきています。無名の教師、役人、若手の職員が国際的なテレビ番組で部族ないし反対運動を代弁する機会を与えられますと、彼らはそれを名誉に思います。これは情緒不安定の表れです。このように無名の人たちは、周縁化され、搾取され、抑圧された人々についてテレビで語る機会を得ますが、「搾取」や「抑圧」などは決まり文句でしかありません。周縁化、後進性、貧困はダルフール特有の問題ではありません。これらは植民地支配によって発展を阻害された第三世界に共通する現実です。しかし、この無名の人たちが突如世界的なリーダーとなるわけです。交渉の場にも招待されます。彼らも問題が解決されることを望みません。解決されてしまうと、自らの存在が薄くなるからです。世界中の人々に語りかけることもできなくなります。世界の国々をめぐったり、欧州議会や米国議会で演説をしたりすることもできなくなります。テレビインタビューを受けることもなくなりますし、自分に関するニュースが世界中で衛星放送されることもなくなります。表面的な栄光に浸り続けるために、彼らは問題が存続することを願います。だから、私はこうした類の部族問題は無視すべきだと思うのです。これらを政治化ないし国際化してはなりません。部族同士で争いたいだけ争わせましょう。最終的に彼らは自ら解決策を見出します。先程も言いましたが、彼らにはそれぞれスルタンや酋長がいるのです。これらの部族が争ったのはこれが初めてではありません。紛争や対立は常にありました。これらは地域で解決できるものです。意図的に政治化ないし国際化されていなければ、世界に殆ど知られることはなかったでしょう。
ダルフールの問題は、一部の者が言うような、黒人対白人あるいはアラブ人対アフリカ人という人種的問題ではありません。アラブ人はアフリカ人です。スーダンのアラブ人はアフリカ人です。私はこれらの部族を知っています。皆さまも主要な部族はご存知かと思います。マサリト族、ルゼイカト族、ザガワ族、あるいはフール族のうち、アラブ人か非アラブ人かを見分けることはできません。このようなことは不可能です。彼らは異なる部族間で結婚しますし、全員がイスラム教スンニ派で、アラビア語を話します。地方の方言は全員が理解します。いわゆるアラブ・非アラブ、黒人・非黒人の間に実際の違いはありません。彼らは完全に同一化しています。彼らを区別することは難しく、実際不可能です。マサリト族は元々はリビアの都市ムサラートから来た部族です。彼らはルートはアラビア人ですが、今ではアフリカ人とされています。リビアから移動してきたのです。ザガワ族はリビア、チャド、スーダンにまたがって数千人が暮らしています。この地域全体はまったく同一化しています。ルゼイカト族はダルフール地方の南北に分布しています。彼らをアラブ・非アラブ、アフリカ人・非アフリカ人に区別することは誰にもできません。これが現地の実情なのです。さて、ここでは米国や中国などの大国同士の衝突があります。いずれもこの地域でより大きな土地と石油利権を獲得することを狙っています。極めて危険な状況です。あらゆる帝国主義者が自らの野望のためにこの地域に足がかりを築こうとしています。この問題が悪化することで、平和実現を口実に現地に自国の軍隊を入れられるようになることを願っています。これも非常に危険です。これらの大国の行為は不道徳で 非難すべきものです。拡張主義的な野望を抱く性格はすべての帝国に共通します。これらの帝国主義的野心を私たちは十分に認識し続ける必要があります。これがダルフールについて私が言いたかったことです。
ダルフール問題以外に、中東紛争やパレスチナ問題についても 述べてほしいと伺っています。
まず、第一に、私が歴史を勉強し、この地域の歴史と人々を非常によく知っていることを理解していただきたいと思います。パレスチナ人とイスラエル人はいわば従兄弟同士の関係にあります。彼らは同じ祖先から来ています。どちらもセミ人です。アラビア語とヘブライ語は姉妹語です。パレスチナあるいはイスラエルと呼ばれる土地は彼らの共通の故郷です。パレスチナ人とイスラエル人のいずれもこの土地に住むことができます。いかなる勢力もヨルダン川と地中海に挟まれたこの土地に対して排他的所有権を主張する権利はありません。パレスチナ人とイスラエル人のいずれもこの土地で一方的に建国する権利はありません。だからアラブ人はいわゆるイスラエルを国家として認めないのです。なぜなら、イスラエル人は領有権の定まらない地域において一方的に建国を宣言したからです。どの勢力も単独でこの土地を自らのものであると宣言し、自らの名前を与える権利はありません。彼らは間違っています。だから国家承認することに反対するのです。
キプロスについても同様のことが言えます。北キプロス・トルコ共和国が独立を宣言した時に、国家承認したのはトルコのみでした。なぜなら、トルコ系キプロス人とギリシャ系キプロス人はどちらもキプロス国民です。キプロスは彼らの共通の祖国です。いずれの勢力もその中で一方的に建国し、自らの名前を与える権利はありません。だからどの国もキプロスにおけるかの勢力を国家として認めないのです。しかし、残念ながらイスラエルは国家承認されています。このことに関しては統一された基準が必要です。北キプロス・トルコ共和国を認めないのなら、パレスチナの紛争地域で建国された単一民族国家も承認されないはずです。これこそが、一方の勢力が紛争地域において一方的に建国を宣言した、1948年に端を発する大きな過ちなのです。
過去に何が起きたにしろ、私たちは今、現実の問題に直面しています。パレスチナ問題は今私の目の前にある方法では解決できないものです。第一に、この問題はダルフール問題と同様に外部の操作が働いています。パレスチナ人の悲劇とユダヤ人の過去の悲劇が私利私欲のために利用されたのです。選挙のたびに、政党と大統領候補はこれらの悲劇を政治的プロパガンダに利用してきました。冷戦時代、すなわち米国・北大西洋条約機構(NATO)軍とソ連・ワルシャワ条約機構軍が対立していた時代を通じて、中東問題は悪用されてきました。それぞれの陣営が自らの利益のためにそれを操作したのです。パレスチナ人、イスラエル人の利益には関心が無かったのです。パレスチナ人とイスラエル人はどちらも犠牲者です。彼らが実際に戦って、死んでいったのです。ソ連、米国、フランスの死者はゼロです。パレスチナ人とイスラエル人だけが割りを喰ったのです。
ご存知の通り、この土地は非常に狭い土地です。カルキリヤの近くでは、ヨルダン川と地中海の間の距離はわずか15キロメートルです。そのような地域に2つの国家が存在するのは不可能です。東西わずか15キロメートルの国家などありえない話です。仮にヨルダン川西岸にパレスチナ人国家が作られるとなると、テルアビブやその他の沿岸都市はすべてパレスチナの機関銃や中規模砲の射程圏内に入ります。領空も支配されます。ひとたび戦争が勃発すれば、この国は2つに分断されかねません。また、提案されるパレスチナ人国家のうち半分の領域、すなわちヨルダン川西岸は、ガザ地区からまったく分断されています。一部は地中海沿岸、残りはヨルダン川西岸に分かれている「国」が果たして国家として成り立つのでしょうか。
加えて、イスラエル領土の中には100万人以上のパレスチナ人が暮らしています。その数は急増していて、倍増する勢いです。将来的にイスラエル内のパレスチナ人人口は3~400万に達します。そうなるとイスラエルとて純ユダヤ人国家を名乗ることはできなくなります。パレスチナ人の数はイスラエル人を大きく上回るペースで伸びています。イスラエルと呼ばれる国で、100万人ものパレスチナ人が平和に、周りと仲良く暮らしています。これは統一国家が問題の解決となる例のひとつです。パレスチナには統一国家が必要です。名称は重要でありません。イスラチナでもパレスチナでも問題ありません。名称はどうであれ、イスラエル人とパレスチナ人を融合する統一国家が必要です。そのひとつの例が現にここにあるのです。イスラエルの市民権を持つ100万人ものパレスチナ人が問題なくイスラエル人と共存している、という事実。暴力は彼らからではなく、イスラエルの外から来ています。単純に言うと、ヨルダン川と地中海に挟まれたこの土地は2つの国を建設するには狭すぎるのです。解決法はそこにひとつの民主主義的な国家を作ることです。宗教的、人種的、言語的差別に固執する勢力に対し、世界にいる私たち全員は圧力をかけなければいけません。こうした時代遅れの考えは時間と共に消え去るものであります。こうした考えがイスラエル人とパレスチナ人の間の恒久的平和の構築を妨げることがあってはなりません。彼らは共存すべきなのです。
アラブ人とユダヤ人がこれまで常に共存していたことを皆さまはご承知のことでしょう。かつてアラブ人がスペイン・アンダルシア地方から追放された時に、ユダヤ人も一緒に追放されました。その時にアラブ人の国々はユダヤ人を受け入れ、保護しました。また、ローマ人が紀元72年頃にエルサレムを破壊した時も、ユダヤ人はアラビア半島に逃げ込みました。私の言いたいことは、アラブ人は長い歴史を通じてユダヤ人をローマ帝国による迫害から、そしてアンダルシアにおけるゴート人の 迫害から守ってきたということです。イスラエル人とアラブ人はいわば従兄弟同士です。預言者アブラハムには2人の息子がいました。そのうちイシュマエルはアラブ人の祖先となり、イサクはユダヤ人の祖先となりました。「イスラエル」の別称を持つヤコブはイサクの息子です。これが国の名前の由来です。したがって、アラブ人とユダヤ人は従兄弟のようなものであり、一部で考えられている以上に近い存在です。二者の敵対感情は、他の国が自国の利益のために作り出したものです。彼らは再びひとつの国家の中で一緒に生きるべきです。
私は自ら出版した白書にて「イスラチナ(Isratine)」国家の建設を呼びかけています。イスラエルとパレスチナから半分ずつ名前を借りています。英訳版も出版されています。そこではひとつの民主主義的な国家の建設を主張しています。最初の選挙を必要なら国連の監督下で行った後に両方の市民が共存する道です。大統領がユダヤ人かパレスチナ人か、ムスリムかクリスチャンであるかは重要でありません。それは人々の意思と選択にまかせましょう。今ではイスラエルにアラブ人の政党も存在します。現にアラブ人のイスラエル国会議員もいます。そこに学ぶべき例がひとつあるでしょう。ヨルダン川西岸において、パレスチナ人とイスラエル人は同じ社会の一部を形成しています。ガザについても同様です。人口的にも2つは共存しています。イスラエル人が経営する工場は西岸地域のパレスチナ人労働者に依存しています。彼らの間にはモノとサービスの取引があり、まさに相互依存の関係が作られています。文化をはじめ多くの点でイスラエル人とパレスチナ人は共通しています。だから私はひとつの統一国家を建設して、紛争に終止符を打つことを提案するのです。ただし、それにはいくつかの条件を満たさなければなりません。
第一に、1948年に追放された難民の帰還。これは彼らにとって当然の権利です。彼らを平和に帰還させ、再び農業に励み社会生活ができるようにすべきです。
第二に、この新しい国家は大量破壊兵器のない国にすべきです。どの国もこの地域において大量破壊兵器を所有すべきでありません。指導者がアラファトであれアッバスであれ、大量破壊兵器のない国にすべきです。
これがパレスチナ問題について私が話したかったことです。「イスラチナ」と題する私の白書をお読みいただければと思います。
国連改革についても意見を聞かれています。私たちは国連を改革する強い願いを長年聞いてきました。しかし、その間に変わったことといえば、国連安保理の常任・非常任理事国の定数が増えただけです。国連そのものの全体的な改革が必要な中で、この「改革」は的外れです。国連は安保理だけで構成されているのではありません。国連総会、国際司法裁判所、国連経済社会理事会、国連信託統治理事会、ユネスコ、ユニセフ、国連食料農業機関(FAO)、その他さまざまな機関が国連システムを構成しています。現在の国連のあり方は非民主的、非合法かつ正当性に欠いています。これを世界が変えていかなくてはなりません。今のやり方は独裁的で平和目的に役立っていません。それどころか、平和を脅かすテロ装置と化しています。
いわゆる安全保障理事会は、安全保障のための理事会にはなっていず、テロ理事会となっています。これが国連と全世界から権力を奪い取り、我が物としたのです。否決権を有する5カ国が支配する限定的な理事会が――。だから、小さな国は安保理も国連も信頼できすにいます。皆さまのように 賢明な方は、国連安保理の役割と国連の状況を見て安心できないという考えに同感だと思われます。この思いはイラク、アフガニスタン、ユーゴスラビアで起きた侵略・占領によって顕著化しています。これらはすべて国連や安保理が見ている中で起きています。米国と英国がイラクを不当に侵略した時になぜ国連憲章第7章が適用されなかったのか。なぜなら、それをすべき安保理においてこれらの国が拒否権を有しているからです。これらの国はどんな決議でも握りつぶすことができます。したがって、安保理は国際的安全保障のための理事会ではないといえます。これは国際的な性格を帯びた組織ではなく、理事国による理事国のための組織といえます。
私たちは国連改革を求めています。これは世界議会である国連総会の民主化によってのみ達成可能です。議会は立法府として、法律を制定する権力と権限を有します。安保理は行政府に相当します。行成官は立法府が制定する法律を施行する責任があります。英政府が法律を制定し、下院がそれを実行するなんてありえるでしょうか。それではあべこべです。議会が法を制定し、政府がそれを実行するのです。しかし、国連では行政府たる安保理が法を制定し、国連総会に代表される議会にそれをそのまま履行するよう伝えます。これでは本末転倒です。本来あるべき姿とは真逆の状況となっています。
世界の国々が手を合わせて作った国連。そこにおいて、総会がすべての加盟国代表が参加する唯一の機関となっています。民主主義の原則に従うと、この総会にこそすべての権限が集約されるべきです。国連総会がある国に対して制裁を加えることを承認すれば、これは諸国共同体の民主主義的な決定のため、対象国としても従わざるを得ません。たった2~5カ国が安保理理事国をねじ伏せて、国際的合法性を盾に自らの行為を正当化するのは著しく不当です。なんという間違った主張なのか――。
仮に真の改革を目指すのなら、安保理はすべての権限を国連総会に移譲すべきです。国連憲章第7章の適用は国連総会の特権であるべきです。拘束力のある決議の採択についてもしかりです。安保理はあくまでも国連総会の決議を実施する組織であるべきです。今の状況が変わらなければ、多くの国は国連を離脱するでしょう。抑圧され不正に辟易した国々によって新しい「総会」が作られるでしょう。そして現在の国際統治システムは崩壊します。かつて国際社会によって自発的に作られたシステムが素通りされています。また、国連憲章というものがありますが、それが今や多くの前例により形作られた、不正、抑圧、侵略に基づく新しい国連憲章に置き換えられつつあります。国連憲章は本来武力による威嚇または武力の行使を禁じていますが、いずれも今日の世界で絶えず起きています。国連憲章はもはや死んだのです。リビア、パナマ、イラク、ユーゴスラビア、アフガニスタン、その他の国々に対する措置が、前例に基づく、明文化されていない新たな憲章を形成しています。この新しい「力の論理」が支配的となっています。絶対的なものとして。私たちはすべて国際法による統治を願っていますが、今を支配するのは力の論理です。これが国際法に代わって優先されるようになっています。こうした圧制を実施する大国が自由、民主主義、人権を唱えたところで誰が信じられるでしょうか。だから私は、国際システムの最高組織である国連総会と安保理の民主化を繰り返し訴えます。
私の「緑の書」には民主主義問題について述べられています。英語版も出版されています。内容は私の捏造でも発明でもなく、世界の歴史と人類の経験をなぞらえたものです。戦争、平和、幸福、苦難、外交問題、内政問題の理由を見出し、本にまとめました。
民主主義はアラビア語の複合語です。「人間」を意味するdemoと「椅子・席・座」を意味するcracyという2つの単語で構成されています。つまり、国民が本来権力の座にあるべきことを意味します。真の民主主義とは、国民が唯一の権力者であること。国民が法を制定し、自らが選ぶ政治組織を作る権利を有すること。国民が支配者である国。国民の主権は、政府や代表者などと呼ばれる少数の個人によって簒奪、掌握されてはなりません。世界中の人々が「代表制」の理論にだまされてきました。誰も国民を代表することはできません。代表制は欺瞞である――。現に国民が存在するのに、なぜ誰かが彼らを代表する必要があるのでしょうか。誰も国民の代わりに夢を見ることはできません。国民の夢と希望を代弁することは不可能です。これらは国民一人一人の責任だから――。国民は自らの責任で政治、経済、社会生活を運営していく必要があります。そして誰かを介せずに直接自らの望みを公にしなければなりません。何千万人もの人口を抱える国でも、わずか数百人の代表者ないし議員しかいないのが現状です。つまり、一人の議員が何百人もの人々を代表することになります。そのようなことが果たして可能でしょうか。たった一人の人間がこれほど多くの人々の望みをどうして代弁することができるのでしょうか。たった一人の人間の望みが数百万人の望みであると言い切れるでしょうか。これは「国民の意思」を改ざんする行為です。個人はあくまでも個人自身の代表者でしかありません。英国をご覧ください。議会の支持を得た政策に対して人々が街頭で抗議する風景が見られますが、仮に議員たちが真の国民の代表であるなら、なぜ人々はデモをする必要があるのでしょうか。米国の国民はイラク戦争に反対しています。しかし、米国議会はそれを支持しています。したがって、米国議会は国民の代表ではない――。米国民はイラクからの撤退を望んでいます。政府は駐留を望んでいますが、議会は撤収させる法案を可決しました。つまり、国民と代表組織との間には大きな溝が横たわっているということです。したがって、代表制は国民の意思を騙るものである――。これが「緑の書」の主張です。真の民主主義においては、全国人民会議と全国人民委員会が代表組織となります。男女問わずすべての成人が人民会議のメンバーです。これが政治決定を行う唯一の組織であるはずです。
現在、リビアの国民は3万のコミューンに分かれています。各コミューンは100人で構成されています。この300万人がリビアにおいて主権を行使します。残りの人口は未成年または高齢のため政治に参加できない者です。この3万コミューン・300万人が社会的なアジェンダを設定し、今後1年間の内政と外交の政策を決定します。それから後日、再び会合を開き、決定事項を再検証します。私が言いたいのは、真の民主主義の実施は人民会議と人民委員会によってのみ可能であるということです。これらを無くして民主主義は存在しません。
皆さまが要請された事項についてはこれですべてお話したと思います。また機会があればぜひお会いしたいです。私の時間が許す限り。皆さまが関心を持つ問題や私に対処してほしい問題に関して、私はいつでもお答えします。もしご質問があれば喜んで承ります。
(最初の質問は哲学博士のマイケルより、リビアの国際関係について)
【質問】敬愛なる指導者に御礼を申し上げます。今年2月から3月にかけて、25人のケンブリッジ大学生を引率してリビアで行われた行事意に参加させていただきました。とても良い機会となりました。リビアの国際関係における最近の変化に関する議論は非常に興味深かったです。私は特に90年代、2000年代のリビア・米国関係を中心に研究しています。リビア側も米国側も二国間関係の改善に関して楽観的な意見を述べていました。最近、こうした改善の動きを続けていく気持ちが両国間で見られるような気がします。たとえば、米国のチェイニー副大統領の発言です。
「我々はイラク政権を打倒した。サダム・フセインはもはやいない。彼は今や刑務所にいて、権力を失っている。フセイン政権は跡形もなく消え去った。リビアのカダフィはこの動きを注視している。アフガニスタン情勢に関しても注視している。フセイン逮捕の5日後にカダフィはリビアが大量破壊兵器を放棄すると宣言した。息子であるセイフ・アル=イスラーム・ムハンマド・アル・カッザーフィーも同じ発言をしている。これは政治的弱さの現われである。」私は敬愛なる指導者の当時の決断によってリビアはより安全で暮らしやすくなった、政治的緊張を回避できたと見ています。
敬愛なる指導者への質問ですが、その当時の決断と米国との関係を改善する動機は何だったのか、そのような関係は今も続いているのか。それから将来の行方についてお聞きしたいと思います。
【指導者】ありがとうございます。また、リビアに来ていただき嬉しく思います。
何が起きても、人はそれを自分の利益のために利用しようとします。 しかし、しかし、彼らは実際に物事が起きるまでそうしようとしません。なぜ、チェイニー氏はリビアが歴史的な決断を下す前にそうした発言をしなかったのでしょうか。なぜ、イラクでの行為を理由に、5カ月内に核開発計画を止めるようリビアに圧力をかけると言わなかったのでしょうか。そうできなかったからです。彼は私たちが決断を下した後でこの発言をしました。自分のために利用したのです。
ここで知っていただきたいのは、この決断が下される9カ月も前から水面下で交渉が続いていたことを副大統領自身が認めたことです。核開発計画の放棄に向けた交渉が9カ月もの間、誰にも公表されることなく、リビア、主要国、国際原子力機関(IAEA)の間で続けられていました。その当時はまだサダム・フセインが権力の座にいました。イラクもまだ侵略されていません。仮に私たちが米国を恐れているのなら、なぜ30年以上にわたって核開発計画を続けていたのでしょうか。
後に精神異常者でかつアルツハイマー病にかかっていると判明したレーガン大統領の時代、私たちは恐れることなく、むしろ米国を警戒させる存在であり続けました。大統領は狂っている、彼の行動に気をつけろと私たちが言った時、人々は笑って相手にしませんでしたが、最終的にはレーガン大統領が本当に狂っていたこと、そして彼の行動はすべてアルツハイマーが成せる業であったことを認めました。
狂気の時代、私たちはリビアの領域に米軍艦隊が派遣されても恐れませんでした。そのまま核開発計画を進めました。その当時、大量破壊兵器の入手は世界の流行でした。多くの国が核兵器を入手しようとしていました。しばらく経って、私たちはリビアの核兵器開発計画が発覚したことを知りました。 機材が一部押収されました。米国の中央情報局(CIA)は リビアと著名な核専門家との会合の記録を提示しました。リビアの核開発計画はもはや周知の事実であると言われたのです。米国・英国と早く協議に入った方がよいと。私の友人であるブレア首相も特使を派遣し、核開発計画が発覚し遠心分離機が押収されたことを伝えてきました。そうして、現実に計画を続けることが難しくなったことに気づきました。巨大なコストの問題も念頭にありました。 なのに、なぜ核爆弾を製造するのか、何のために――。仮に誰かが、リビアの狙いがイスラエルに核爆弾を落とすことにあると主張したとしましょう。私たちは単純にこう言います。イスラエルには100万人のパレスチナ人がいると。100万人のパレスチナ人と300万人のイスラエル人の頭上に核爆弾を落とすことが果たして考えられるか。イスラエルに核攻撃をした場合、ヨルダン川西岸もガザ地区も安全ではいられません。シリア、レバノン、ヨルダン、そしてエジプトにまでも危険が及びます。だからリビアがイスラエルに核兵器を使う可能性はまったくないのです。
リビアは核兵器を使用する、と一部の者は言います。私たちがそのようなことをするなどありえません。欧州諸国はもはや植民地大国ではありません。彼らは私たちの友人であり協力者です。今まさにアフリカ連合(AU)・欧州連合(EU)間の戦略的協力関係を築いているところです。 欧州とは現在、貿易、投資、環境保護のほか、地中海における連携や経済関連機関における協力について話し合っています。ヒットラーやムッソリーニの時代の欧州とは違うのです。
リビアから欧州に核攻撃をしかけるなど、合理的な人間が考えることではありません。加えて、欧州にはリビアの友好国が数多くあります。したがって、その方面での核兵器使用の可能性もなしということです。となると、米国に対して使うのかという質問が想定されますが、第一に、米国まで核兵器を運搬する手段がありません。米国が1万個の核爆弾で報復してくることを知りながら、たった1個――多くてもせいぜい10個――の核爆弾でその国に攻撃をしかけるなど、合理的な人間がする判断でしょうか。ありえない発想です。米国、ロシア、中国といった数千もの核兵器を持つ国に攻撃を仕掛けようとするのは狂っているとしか言いようがありません。
それなら、アフリカで核爆弾を使用することは考えられるか――。アフリカは我が大陸です。私たちもその成り立ちにかかわってきました。そうして国際情勢を判断した結果、核開発計画が単なる流行追随であることに気付いたのです。先程申し上げた通り、当時はどの国も核兵器を入手しようとしていました。しかし、その時代は過ぎ去ったのです。
パキスタンが核爆弾を製造したのも、インドが核兵器を製造したからです。二国間のバランスをとる上で、両国とも同じような武器を持つべきだという考えは理解できます。 しかし、これは極めて危険な状況です。リビアは核、生物、化学のあらゆる大量破壊兵器に反対です。これらの武器を開発するプログラムが地球上から消え去ることを願っています。私たちが恐れるのは神のみです。ところで、ご質問で引用した発言者の名前はディック・チェイニーでしたか。彼のビジョンはレーガンと似ています。同氏がレーガンのように病気でないことを祈ります。同氏の健康を。同氏は5回の心臓手術を受けたと聞いています。今の発言が精神的不安定によるものでないことを願います。それはさておき、仮にチェイニー氏が正しかったとして、リビアのような人口500万人の小国が米国のような超大国と対立するのが果たして賢明でしょうか。何万もの核兵器と、大陸間弾道ミサイル(ICBM)と空母と核潜水艦を持つ超大国と対立することを避ける小国の判断のどこが間違っているのでしょうか。これはむしろ知恵と勇気の証です。私たちは自らの自由意志で事を始め、終わらせたのです。
【質問】敬愛なる指導者への質問です。アフリカ連合(African Union)をアフリカ合衆国(United States of Africa)に発展したいと表明されていますが、これは今後10年で可能とお考えでしょうか。
【指導者】ありがとうございます。アフリカ合衆国は十分可能な構想です。欧州の前例があります。欧州は幾多の国でできていて、これらはつい最近まで非常に激しく争っていました。破壊的な戦争もありました。第一次・第二次世界大戦、ばら戦争、30年戦争、7年戦争において数千万もの人が命を落としました。これらの戦争を欧州は経験したのです。にもかかわらず、今では統合に共通の利害を見出しています。私たちはこの前例に倣っています。加えて、アフリカでは国同士の戦争は起きていません。アフリカは千ともいわれる部族が集まるひとつの黒人国家です。私たちはすでに一つとなっています。ひとつの大陸に、ひとつの均一な人間集団。肌の色ひとつとっても私たちは他の国々や大陸の人とは明確に違います。グローバル化が進み、それに伴う問題が顕著化する中、どの国家ももはや単独では存続しえなくなっています。ドイツ、英国、フランス、イタリアなどの大国ですら欧州連合なくして存続するのが不可能なら、ましてやアフリカの小国が単独で生き残れるチャンスなどあるといえるでしょうか。これらの国の将来は 、アフリカ連合であれアフリカ合衆国であれ、アフリカという連同体(entity)にあります。それが構築できるかは、アフリカ人の努力しだいです。
【質問】敬愛なる指導者。貴重なお時間を割いてくださりありがとうございます。この質問はBBC放送アフリカ局からです。AUがアフリカ合衆国に発展するとのお話ですが、アラブ連合の可能性についてもお聞きしたいと思います。指導者の勇気と知恵に賞賛の意を示すと同時に、アラブ連合形成に向けた指導者の願いをぜひ視聴者にお届けしたいと思います。
【指導者】これは質問なのかコメントなのかはよくわかりませんが、ひとつだけ言えることがあります。人間の歴史はさまざまな段階を経てきているということです。宗教の段階、ナショナリズムの段階、そして人口変動ないし物的関心の段階があります。
宗教の段階においては、構成員の民族ないし言語に関係なく、信仰が共同体の土台となっていました。神聖ローマ帝国、イスラム帝国、オスマン帝国などがそうです。ナショナリズムの段階においては、イタリア、ドイツ、トルコ、イランなどの国民国家が形成されました。不幸にも、これらの時代はアラブ人が信仰ないし民族的ルーツをベースに統一できないうちに過ぎ去りました。そして今、私たちは人口学変動、グローバル化と共通の物的関心を特徴とする新しい時代に来ています。リビアとイラク、あるいはシリアとモロッコとの間で統合を語ることは難しくなっています。
アフリカ諸国として、リビアとモロッコは統一されたアフリカの一部となります。アフリカという大きな枠組み以外の統合はありえません。EU、ニュージーランド、オーストラリアが統合する話など誰がするでしょうか。それは不可能です。地理的な条件がそれぞれの地域をして統合に向かわせます。現時点で統合体を形成あるいは形成しつつあるのはASEAN、ソ連が解体してできた独立国家共同体(CIS)、AU、EU、アメリカ合衆国、そしてラテンアメリカです。そうして、世界はいずれ7から10ものグループ、連合ないしに超(メガ)連合体に分かれ、それらが国にとって代わるようになるでしょう。世界で流通する通貨の数も7から10に絞られます。中央銀行もしかり。これが世界が目指す新しい形です。このような新しい世界においてアラブ人の民族統合を語ることは非常に難しくなっています。私自身は、むしろアラブ・アフリカ連合に参加するよう、アラブ諸国に呼びかけたいと思います。つまり、すべてのアラブ諸国がアフリカと一緒になること。アラブ人の3分の2はアフリカ人だからです。残りの3分の1はアジア(アラビア半島、ペルシャ湾岸、大河地帯)にいます。ですので、唯一の解はアラブがアフリカと一緒になることです。今日のような時代にあって、民族ないし宗教に基づく統合の原則はもはや存在しません。今の世の中で通じるのは、人口変動と物質的関心という超共同体の共通関心事項のみです。
【質問】敬愛なる指導者へ。独裁制に勇敢に立ち向かい、すべての国が恩恵を受ける自由な世界の実現を主張してきた指導者にとって、イラク情勢と現地における米国の行為はどのように映りますか。
【指導者】イラクで何が起きているかは全世界が知るところです。世界は立場を決めています。すなわち、イラク侵攻は間違いであったと。米国、英国のいずれも間違いを認めています。そうして間違いが解けました。イラクが大量破壊兵器を保持していたとの情報を得た、と彼らは言いました。そうして、イラクは立ち入り検査を受け、攻撃され、分解の憂き目に会いましたが、そのような武器は存在していなかったことが明らかになったのです。
両国は間違いを認め、反省の意を示しましたが、これは本当に残念なことです。ただの噂ないし嘘で一つの国民が苦しみを受け、一つの国が破壊されるなど、果たして許されるべきでしょうか。国連安保理の常任理事国を務める大国がなぜ根拠のない噂やでっちあげによってそのような極めて危険な賭けに出たのでしょうか。そのようなあやふやな理由で物事が進んでいるのに、なぜ世界は平気で見ていたのでしょうか。間違いを犯した国は、その間違いを巻き戻さなければなりません。つまりイラクから撤退し、イラク国民の自由にさせること。これが唯一の解です。
ケンブリッジ学友会コーディネーター】敬愛なる指導者、ありがとうございます。皆さまのご来場、ご参加に感謝します。何よりも、敬愛なる指導者カダフィ閣下にご臨席いただき、改めて御礼申し上げます。
指導者】ありがとうございます。また会える機会があることを願っています。神のおぼしめしがあれば――。
世界が現在直面しているテロの危機に対する指導者の分析
この問題には2つの側面がある。 1.アメリカに対する攻撃。政治の首都であるワシントンDCと経済の中枢であるニューヨークが共に、前もって綿密に計画され、きわめて暴力的で…