国際軍事裁判所及び法廷の違法性
国際軍事裁判所及び法廷(以下、国際裁判所とする)は、贔屓主義と二重の基準に基づく国際制度の産物である。これら裁判所に共通して見られるのは、あらゆる裁判所が機能する上で必要とする法律的要件の欠如である。
合法的な裁判所の条件は周知のことであろう。どのような裁判所も、法的地位を有する正当な機関により設置されなければならない。裁判所にて審理する犯罪行為については、その行為の内容及びそれに対して科される刑罰が、同犯行前に制定された法令に予め明確に規定されていなければならない。
この法令は立法機関が制定する。裁判官は、完全に独立して職権を行使し、外部から何らの影響をも受けずに審理を行う権限を有する。さらに、裁判所は、被告人の適正手続きを保障しなければならない。国際裁判所は、こうした条件を満たしているか?答えは、ノーだ。
事実、世界的に有名な国際裁判所は、次のいずれかの方法で設置されている。一つ目が、ニュルンベルク国際軍事法廷と極東国際軍事裁判所(東京)のような、第二次世界大戦の勝戦者である連合国が設置したもの。二つ目は、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷およびルワンダ国際戦犯法廷のような、国連をはじめとする合法性の怪しい「国際」機関によって設置されたものである。
第二次世界大戦の産物としてニュルンベルク国際軍事法廷と極東国際軍事裁判所を設置することで、連合国は、勝戦国としての正当性を敗戦国に押しつけることができた。戦時中の敵国を犯罪者として断罪し、自らの違法行為については不問にされるような仕組みの国際裁判所を作り上げたのだ。最も重大な勝戦国の違法行為は、敵国抑止以上の兵器、つまりは原子爆弾を投下し、無数の市民の 命を奪ったことである。以下の事実を鑑みると、国際裁判所は、司法基準をまったく満たしていないことが分かる。
- 国際裁判所は、戦後、占領国の政治的指導者や軍司令官によって設立された。よって、その裁判官は公正な立場にない。裁く側は、被告にとっての敵国から選ばれた人物なのだ。既存の司法基準に従うとすれば、紛争の当事者であった彼らには裁判官の役割を担う資格などないはずだ。
- 国際裁判所で裁かれる被告人は、戦争捕虜である。国際法の下では、彼らを裁判にかけることはできない。
- 国際裁判所で裁かれる被告人の行為は、既存(当時)の法律に、犯罪として定義および規定されていなかった。何を「犯罪」とするかは、戦争に勝利した連合国が遡及的(事後的)に決めたものであり、 これは罪刑法定主義の原則に抵触するものである。遡及的刑罰の禁止の原則にも違反している。
- 極東国際軍事裁判所は、連合国最高司令官マッカーサーが布告した条例に基づき設立された。このマッカーサーの条例により、彼の想像にしか存在しない、憶測の犯罪や違法行為の裁きがなされた。言うまでもないが、同条例下で実施された裁判で、多くの無防備な日本人が犠牲者となった。
- 被告が犯した「犯罪」(犯罪と言えるのであれば)の定義については、当時から、世界各国間で顕著な意見の相違が見られている。
- こうした裁判では、実質的な証拠による裏付けなしに、単なる憶測や疑惑に基づいて審理がなされた。例えば、東京裁判にてある日本軍司令官は、フィリピンで指揮下にあった兵士の行為が犯罪と見なされたことで糾弾された。同氏が命令を下したという証拠がないにも関わらず、死刑が言い渡されている。同司令官は、戦場から去った後の事だったという単純な理由で、実際に何が起こったかは知り得なかった。
こうした裁判は、自衛権を超えた武力行使があった事実を連合国が正当化するための、いかさま裁判である。この証拠として、戦争で最も大きな打撃を受けたロシアは、他の連合国とは異なり、戦後に占領したドイツの軍司令官を裁判で糾弾していない。
国際裁判所の存在自体とその判決は違法である。同裁判所の判決の犠牲者およびその家族には、不公正な判決に対する賠償を受ける権利、名誉回復を求める権利がある。第二次世界大戦の案件については、勝戦国と敗戦国、両当事者の行為を、公正な裁判所にて審理し直さなければならない。国際裁判所では、両当事者の戦犯が裁判の対象となったわけでない。敗戦国の行為のみが裁きの対象とされたのだ。
さらに重要なのは、審理された犯罪が、当時の法律によって定められていなかったという点である。したがって、これらの裁判は、「法律なくば犯罪なし、法律なくば刑罰なし」(法律に犯罪と規定されていない行為に対しては刑罰は科されない。)という刑法の原則に反することになる。
旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷およびルワンダ国際戦犯法廷にも、同じことが言える。これら二つの国際裁判所は安保理によって設置された。この安保理の合法性も非常に怪しい。本裁判所も、ニュルンベルク国際軍事法廷および極東軍事裁判所と同じ状況と方法で設立された、第二次世界大戦の産物なのである。勝戦国は、自らに都合の良い国際関係を構築するための手段として安保理を設置した。世界各国の意思と自由選択によって設置されたわけではないのだ。さらに、安保理は法制定の権限がないにも関わらず、その執行までも掌っている。法律は、国民が選出した立法者によって制定されなければならない。安保理の機能と現在の任務は、少数国の立場のみを反映しているため信ぴょう性などない。特定国しか設置に関与していないような安保理に、個人を裁く権利などないのだ。 これは、国際司法裁判所(ICJ)が、ロッカビー事件の裁判管轄権を安保理が持たないと判断した事実からだけでも理解いただけよう。しかし、安保理はこの判断に従わず、国際法上、そもそも管轄権を有しないにもかかわらず、ロッカビー事件に対する関与を続けた。同時に、安保理は、「ニカラグアに対する軍事および純軍事的活動事件」に関するICJの判決も無視している。
安保理は、国際裁判所を設置する法的権利を有していない。国連憲章第29章を、国際裁判所を設置する権利の付与と解釈してはならない。これが認めているのは、補助機関の設置だけだ。こうした安保理による規定条項の悪用は、人々の主権蹂躙にあたる行為である。
したがって、国際裁判所の設置に関する安保理の決議は、 国際法および法学上では、そもそも無効なのである。
既存の国際裁判所は、先に設立された国際裁判所を模倣して設置された。 これら裁判所の目的は、犯罪の容疑者を審理することではなく、脆弱な敗戦国を裁くことである。
国連憲章第7章に基づき上記二つの国際裁判所が設置されたことからも、安保理の行動が政治色の強い、公正さを欠いたものであることが分かる。
シエラレオネの国連特別法廷も違法である。同法廷の設置を要請したのは同国政府であるが、同法廷の合法性を正当化することにはならない。同法廷は国内司法制度の枠内に位置付けられていない。その裁判所規約および判決が、国内法の拘束下にないことは、次の事項から把握できる。
- 同法廷の規約は、同様に違法性を孕むニュルンベルク国際軍事法廷の裁判所規約と判決に基づく、いわゆる「国際法の諸原則」を基盤に形成された。
- 法廷の裁判所長および検察官は、シエラレオネの国民ではない。
- 裁判官の中に、司法制度が中核をなす国家主権下にない外国人がいる。
- 法廷が下した判決は、シエラレオネ国外で実施される。
国際刑事裁判所 (ICC)
国際刑事裁判所は、軍事的かつ臨時的な特性を持つその他の国際裁判所と同じ路線で設置された。国際条約に基づき設置されたものの、その条約、つまりローマ規程は、ニュルンベルク国際軍事法廷をはじめとする国際裁判所の裁判所規約に基づくものだった。こうした慢性的な合法性の歪みにより、裁判所が有するべき厳格な法的性質が国際裁判所から剥奪されていったのだ。以下の事項からも、これを明確に認識することができる。
- ICCの規程に基づき、安保理は、ICCに対して訴追の停止を要請することができる。
安保理が、国際平和と安全における贔屓主義と二重の基準を是正するとしても、ICCとの関係性において、その独立の原則を妨げ、合法的な裁判所としてICCが持つべき性質を剥奪することだろう。 裁判官の独立の原則に対する重大違反である決議1422の採択以前から、安保理がICCの「監督役」を担ってきたことからも、これが理解できる。
- 現時点で、全ての国家を一様に拘束する、国際裁判所の管轄内にある犯罪、ならびに、かかる犯罪に対する刑罰を定めた成文の法規がない。かかる法令が存在しないということは、ローマ規程にも定めがあるように、法の非遡及の原則と「法律なくば犯罪なし, 法律なくば刑罰なし」の原則を基に設置されたICCには、実利的価値がないということになる。
- ICCが管轄権を行使する犯罪に、侵略犯罪が含まれていない!! 侵略犯罪が、ICCの管轄権の範囲内にあるすべての犯罪の基礎および要因であるにもかかわらずだ!!
4.ローマ規程には、大半の極悪犯罪が含まれているが、それよりも軽度の犯罪については触れられていない。これが、ローマ規程が不均衡である由縁だ。こうした不均衡は、一定国家の意思により生み出されたのである。
- ICCは、裁判の公平性を保証する上で最も基本的な権利である、被告人の防御権を確保していない。他の国際裁判所と同様に、被告人の防御権は単なる形式上のことなのである。いずれの国際裁判所にも、公平な裁判を被告に保証するための弁護制度が設けられていない。弁護士の職業倫理行動、ならびに、法支援基準と手続きに関する綱領案が先ごろ導入された。しかしこれは、裁判所(そう呼べるか不明だが)が業務を開始できるよう、形式的な要件を満たすため、被告人にとって重要な基本的権利が確保されているか否かを調査せず採用されたものである。
6.ICCの裁判手続きも、他の国際裁判所の手続きと同じである。疑惑、憶測、状況証拠だけでの審理が実施されている。決定的な法的証拠に基づく判決が義務付けられていないのだ。
ICCは、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷をモデルに設立された。同法廷では、殺人や拷問といった犯罪を命じたという証拠なしに、ボスニアのセルビア軍およびクロアチア軍の司令官が断罪されている。事実、これら当事者が、犯行時点で作戦現場にいたか否かさえも証明できていないのだ。
- ICCは、重層的構造に関する司法要件を満たしていない。本裁判所は複数の部門(予審裁判、第一審裁判、上訴裁判)で構成されているが、これを裁判所に求められる重層構造とは見なすことはできない。その理由は、ICC裁判部が、締約国会議で選出された18人の裁判官のみで構成されているからである。部門配属の決定権も裁判官に委任されている。
裁判所長は、これら18名の裁判官の中から内輪で選出される。裁判所長会議と裁判官の配属も裁判官自らが決定する。さらに、裁判官は裁判所の業務執行に関する規約を制定するなど、その機能は、裁判所というより、管理機関のものに近く、国内裁判所の水準に満たしていないのが現状である。
裁判所としての要件を満たさず、法的機関の性質を欠いているICC。それに輪をかけるのが、上訴裁判部門の判決に被告が異議を申し立てるための最高裁判所の不在である。通常、国内司法制度下では、下級裁判所やその他裁判所の判決に被告人が異議申し立てできるよう最高裁判所が設置されている。
上記に加え、安保理や強国の政府機関といった合法性の怪しい国際機関の影響下にあるICCは、公正な裁判所であるとは言えない。たとえ、ICCが国連総会によって設置されたとしても、その合法性と正当性の欠如は否定できない。 国連総会は、各国を代表する国家公務員で構成されている。こうした代表者は立法官ではなく、法を制定する権利など有していない。 世界が直面する政治的及び外交的問題に対処するのが国連総会の役割であり、法定立・執行機能は有していない。立法行為は、世界各国の議会または議員に与えられた排他的な権限である。議員が国連総会に集まり、国際裁判所の条例や基本的規程を採択してこそ、国際裁判所の合法性を正当化できるのだ。
世界でも有名な国際裁判所の存在は単なる見せかけにすぎない。正義を促進するのではなく、以下の理由から正義を婉曲している。
- 現時点で、全ての国家を一様に拘束する、国際裁判所の管轄内にある犯罪、ならびに、かかる犯罪に対する刑罰を定めた成文の法規がない。かかる法令が存在しない限り、1899年のハーグ条約やそれ以降の国際条約をはじめとする様々な国際文書があろうとも、国際刑法が「法律なくば犯罪なし、法律なくば刑罰なし」の原則に則ったものであるとは言い難い
- 世界各国は、侵略者および自衛権行使者の特定に寄与する、侵略犯罪の明確な定義付けの合意に至っていない。さらに、侵略戦争の概念もまだ曖昧なままである。
- ニュルンベルク法廷の裁判規約及び判決に基づく国際法規則を成文化した、1946年11月の総会決議を行使するのは違法である。ニュルンベルク法廷自体が違法であるため、本決議は違法性に基づいて策定されたものとなる。ニュルンベルク法廷の規約及び判決に基づく国際法を体現化した本決議は、国際法を腐敗させるものである。
合法性に欠き、「緊急」理事会としての性質を持つにもかかわらず、安保理は国際関係の形成において主導権を握ろうとしている。よって、 ICCも、安保理と同様に、見せかけの「緊急」裁判所として、脆弱国に対する強国の企みを覆い隠す隠れ蓑として茶番を続ける。これにより、強国は、裁判所による権限(本当の権限があるとすれば)の行使を免れることができる。今後とも、国内裁判所は、国際裁判所よりも高い信頼性を持ち続けるだろう。合法性と独立が確保されているおかげで、国民は、国内裁判所の判決が公正であると信頼を寄せる。国内裁判所に普遍的管轄権を導入すれば、犯罪の実施場所や犯罪者の国籍に関係なく、戦犯を公正に裁くことが可能となるだろう。
国際法は、まだ未成熟の段階である。慣習的な色が高く、全ての国家を拘束するに至っていない。しかし、国家の「上」に立つ法律ではなく、国家「間」の法律であり続けるため、今後の発展が期待されている。当面は、領土と国民を統治する国家主権が、国際法の解釈と適用に対する尺度の役割を果たしていくことだろう。
一般的な原則として、個人は、その国家が制定に参画していないような法律には拘束されないという当たり前の権利を有しているはずである。特定機関によって策定された法律が、未批准の国家や個人を強制的に拘束するようなことがあってはならない。
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