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記事 - 20 4月، 2024

世界が現在直面しているテロの危機に対する指導者の分析

この問題には2つの側面がある。

 

1.アメリカに対する攻撃。政治の首都であるワシントンDCと経済の中枢であるニューヨークが共に、前もって綿密に計画され、きわめて暴力的で派手な攻撃を受けた。この側面は、アメリカの権限内である。これは、それに対する攻撃だった。アメリカは、他のすべての国々と同様に、現在無力化している国連憲章第51条の下で、自衛権を有する。他の法律文書の下でも同じ権利を有している。自衛権は正当な権利であり、アメリカには、その権利を行使する力がある。他国の助けを借りなくても、自国を防衛し、敵を追跡することができる。また、自らの行為を正当化する能力にも事欠かない。アメリカが自力で対処できることに対して助力を申し出るのは、偽善的なごますりに等しい。

 

2.テロという現象は、アメリカだけの関心事ではない。全世界の関心事だ。アメリカだけでは、テロと闘えない。この務めをアメリカだけに任せるのは、論理的でも合理的でも生産的でもない。国際協力と世界レベルでの共同行動が必要だ。

 

非常に残念なことだが、この件について深刻な誤解があり、混乱が広がっている。テロとの闘いへの協力は、アメリカへのサービスではない。われわれ1国1国の自衛行為だ。テロはわれわれ全員にとって脅威であり、9月11日に攻撃されたのがアメリカか否かは関係ない。

 

アメリカは、対テロ戦争に参加した国に見返りを与えてはならない。テロという悪と戦うことは、アメリカへのサービスではないからだ。それは自国の利益のための行為だ。われわれの誰がテロを好むだろう? われわれの誰が、テロが野放しになっている世界で生きることや、わが子や自国がそんな世界で生きることを望むだろう? テロは恐ろしい社会悪だ。

 

これも残念なことだが、大いなる二重性があり、それが世界レベルの大いなる混乱につながった。われわれの行動の目的は何なのか? アメリカの自衛や、9・11の攻撃者たちに対する復讐や処罰に手を貸すことか? それとも、テロと戦い、最終的には撲滅するための国際プログラムを取り入れることが目的なのか?

 

この2つの状況の間には、明らかな違いがある。

 

偽善、恐怖、強欲が、この混乱の原因だ。テロとの闘いへの参加を頑固に拒んでいる者たちがいる。この闘いを、アメリカを守ることと混同したり、アメリカの対アフガニスタン戦争と同義と考えたからだ。アフガニスタン攻撃に急いで参加した者たちもいる。彼らがそうしたのは、テロに反対だからだ。というより、彼らは自分なりの理由でタリバンに反対だからだ。強欲や恐怖、偽善といった理由で参加した可能性もある。

 

この段階では、われわれは真の透明性を保たねばならない。アメリカが敵に反撃するのに協力したい者や、アメリカとの同盟を望む者は、はっきりそう言わなくてはいけない。

 

諸国が互いを助ける同盟を結ぶのは、これが最初ではないし、最後でもないだろう。各国には主権国家として、アメリカの側に付き、アフガニスタンやビンラディンを敵に回す決定を下す権利がある、さっき言ったとおり、アメリカは自衛や復讐に誰の助けも必要としないにもかかわらず、である。しかしテロの話となれば、事は全く違ってくる。

 

テロと闘うためには、われわれは互いを必要とする。テロに打ち勝つには国際協力と、新しい長期的な国際政策が必要だ。

 

とはいえ、テロは非常に広範かつ複雑な問題だ。だから、そのすべての側面を理解できると考えるのは自己欺瞞だと、私は思う。

 

まず最初に、この問いを取り上げよう — テロとは何か? その定義について、われわれの意見はきっと分かれるだろう。

 

もしわれわれがテロの定義について、明快な定義にすんなりたどり着いたら、テロのない世界の土台を築くことになる。それは紛れもない奇跡だ!

 

しかし、われわれはテロの定義について合意することはできないと、私は確信している。理由は明らかだ。

 

私がテロと見なす行為は、私の敵から見れば望ましい行為かもしれない。証拠はいくらでもある。たとえば、1人の若い男がペシャワルで訓練を受け、アフガニスタンで活動した。その後、イギリス諜報部が、彼にカダフィ暗殺の任務を割り当てた。革命の終焉がリビアの降伏につながると信じてのことだ。

 

そんなとき、ロッカビー(パンナム機爆破事件)の容疑者が引き渡された。彼は世界が見守る中で、任務を遂行しようとした。しかし神の介入によって、爆弾は作動せず、爆発は起こらなかった。まさに神の御業だった。爆弾が爆発していたら、多数の家族を含む大勢が、観覧席で命を落としたはずだ。

 

このテロリストは、私が今話したことをすべて告白した。イギリスの情報将校も告白した。これは、イギリス諜報部がアフガニスタンからの帰還兵らと協力して計画した、私に対するテロ行為だった。

 

私を敵と思っている者たちは、これをテロ行為とは見なさないだろう。それどころか、奨励すべき、望ましい行為だ。私は自分をイギリスの敵とも、件(くだん)のアフガン帰りのリビア人の若者の敵とも思っていない。不当な扱いを受けたテロの被害者だと思っている。相手側にも、それなりの言い分がある。というわけで、テロの定義について、われわれの意見は全く異なる。

 

私が透明性ということを言うのは、私には怖いものがないからだ。無理に手に入れたいものはないし、偽善者でもない。私は正真正銘の国際主義者の良心の声だ。世界情勢は変化することもあるのは知っているが、世界そのものは変化していない。良い世界に変化させることは、われわれの義務だ。

 

したがって、どうやら9・11の凶行の直接の結果として、アフガニスタンと戦う準備が進行しているようだが、われわれはそのことと、グローバルなレベルでのテロとの闘いを、きちんと区別しなくてはいけない。

 

最初の問いは、アメリカの責任だ。二番目は、全世界の責任である。いったんテロの定義や根本原因について合意したら、テロと闘うための協力や、同盟の欠如について、弁解の余地はない。協力や同盟の失敗はもちろん、遅滞ですら、人類の将来を危うくすることになる。

 

それはまた、今後の世代を失望させることを意味する。

 

テロは現実であり、行う側にとっては正当化できる行為だ。それが危険のもとだ。もし北アイルランド問題に納得できる解決策が見つかれば、イギリスが“アイルランドの暴力やテロ”と呼び、IRAが“正当な闘争”と呼んでいるものは終わる。

 

同じような解決策がパレスチナ問題でも見つかれば。イスラエルがパレスチナ・テロと呼び、パレスチナが正当な武力闘争と呼んでいるものも終わるだろう。アメリカとアラブの間の敵意も消えるだろう。しかし、こうしたことだけがテロの原因だろうか? 答えは“とんでもない”だ。他にも多くの原因がある。テロに走る集団は、パレスチナや北アイルランド以外にも多い。

 

たとえば、フィリピンやチェチェン、カシミール、チベット、バスク地方やコルシカ、タミル人の中にも、不満を抱く集団が存在する。これ以外にもいるだろう。

 

どうしてロシアとアメリカとサウジアラビアが、チェチェンの状況の定義で合意できるだろう?

 

ロシアはこれをテロと見なし、統一に反対する策略と考えている。アメリカは、自己決定権・人権への抑圧と考えている。サウジアラビアのモスクは、これを聖戦、ジハードと形容し、勝利を祈っている。私はこれを、ロシアのイスラム教徒を孤立させて地位を低下させ、核保有国の市民である権利を奪うための陰謀と見ている。ロシア市民である限り、ロシアのムスリムは国内で最も高い地位を占める資格を持ち、いつの日か、この核保有国を支配する可能性がある。彼らをロシアから分離することは、その可能性を奪うことだ。同じことが、ボスニア・ヘルツェゴビナのムスリムにも起こった。彼らは自分たちの共和国で少数派になった。

 

彼らは、かつてはユーゴスラビア市民だった。その1人ジャマル・エル=ディン・パディッチはユーゴ首相で、チトー後2人目だった。ユーゴ市民だから、それが可能だったのだ。現在、ムスリムは、ボスニアでさえ、この高い地位に就くことができない。したがって、ボスニアの分離は陰謀であり、ムスリムにとって大きな不幸だった。同じことがチェチェンにも言える。

 

仮に、こうした問題が解決したとしよう。それでも暴力やテロに走る集団が、北米や南米、ヨーロッパや日本にいるだろう。たとえそうした集団を何とか撲滅したとしても、まだマフィアや麻薬ギャングが存在する。

 

どうにかして彼らを打ち負かしたとしても、邪悪な集団は他にもある。通貨を偽造する者たちもいれば(5000億ドル分以上の偽札が出回っている)、資金洗浄をする者たち、女性や子供を人身売買する者たちもいる。それに、シアトルで抗議した者たちや解雇された失業者、貧しい人々などの不満分子はどうだろう?

 

ほかにも人口の急増や移動、マイノリティー、文化や宗教の衝突、反抗的な科学者、ハッカー、コンピューター・ウイルスや生物ウイルスによる戦争など、いろいろな原因がある。長いリストだ。

 

まずイギリスを取り上げよう。ペシャワルで訓練を受けてアフガニスタンへ行き、ビンラディンの仲間になって世界各地へ赴いた若者たちは、いわゆるアルカイダという組織のメンバーだとの説もある。

 

それが本当なら、イギリスが彼らの多くに庇護を与えたと言わざるを得ない。われわれは、その証拠を持っている。世界が協力したいと望むならだ。われわれは本当に、テロの本拠地や、テロリストをかくまっている国々を攻撃するのだろうか? 私はそうは思わない。もっとも、「われわれはテロリストをかくまっている国々を攻撃する、ただしイギリスは例外だ」と言うなら別だ。

 

こうして、われわれはダブル・スタンダード(二重基準)に戻り、テロについての国際合意を乱す。これは対テロ戦争に負ける確実な方法だ。イギリスのベテラン政治家であり、労働党委員長であるトニー・ベンは、こう言ったことがある。「もしアメリカが、アメリカのユダヤ人を恐れてイスラエルを支持するなら、われわれイギリス人はテロリストの側につくかもしれない。なぜなら、われわれは、700万人以上のイギリスのイスラム教徒を恐れるからだ」

 

イギリス諜報部のトップは、ベンよりさらに踏み込んだ発言をした。これが、アラブ諸国がイギリスよりアメリカとより緊密な同盟を結べるだろうかと思う理由だ。イギリスとアフガニスタンのどこが違うのか? まずはアメリカがイギリスをどうするか拝見しよう。

 

アメリカが自国へのテロ攻撃に対して報復する権利と、われわれ皆がテロと闘う権利との混乱のせいで、国際行動は頓挫するだろう。ビンラディンやタリバン、テロ、イスラムをめぐる混乱でも、同じことが起こるだろう。

 

アメリカの自衛権という問題が影を落とす中でテロ対策を急ぐあまり、国際行動は無意味になるだろう。テロの原因に取り組み、国際的にテロとどう闘うかというグローバルなプログラムを取り入れる機会は失われるだろう。テロはわれわれの共通の敵だ。アメリカだけの敵ではない。

 

国際的な義務や責任と、アメリカ自身が自国民に対して負う責任とを混同することは、アメリカのためにならない。第二次湾岸戦争を模倣しようとしたのは間違いだと、私は思う。あの戦争を模倣することはできない。あのとき起こったことを、現在の状況に適用するのは不可能だ。それは、偽善者たちが長期間、アメリカ政府の混乱を助長した結果なのだ。彼らは米政府に対し、先に延ばすべきことを急ぎ、迅速に対応すべきことを後回しにするように働きかけることもした。

 

いわゆる第二次湾岸戦争中に起こったことを模倣しようという試みは、いかなるものであれ誤りだ。あのとき起こったことは、1国による他国の占領だ。その行為は、アメリカに対するものではなかった。アメリカが占領されたわけではない。しかしクウェートはアメリカや世界に助けを求めた。だから、倫理的にも政治的にも、全世界を巻き込む必要が生じた。また、国際法の関係で、国連も巻き込む必要があった。

 

これは全世界にかかわる問題だ、というのが前提だったのだ。アメリカだけの責任ではなかった。しかし現在の状況は違う。9・11のテロ攻撃は、アメリカだけに向けられた。アメリカには報復する権利も、その力もある。アメリカがアフガニスタンやビンラディンと戦うために世界の助けを求めるなど、考えられない。対テロ戦争は全世界の責任だ。

 

責任ある国家が対テロ戦争に参加しないなど、私には想像できない。しかし今日、われわれは、参加することに同意した国々もあれば、拒否した国々もあると聞いている。その理由は、1国がその敵と戦うことへの支援と、われわれ共通の敵であるテロとのグローバルな戦いとを混同していることにある。

 

われわれは反イスラムなのか? アラブ人でムスリムであるわれわれが、反イスラムなのか? ビンラディンに敵対する者は皆、反イスラムなのか? タリバンに敵対する者は皆、反イスラムなのか? この誤った見方は、アメリカの自衛権と、テロとの戦いという世界の義務を混同した結果だ。

 

ビンラディンや、いわゆるアルカイダに敵対する者が皆、反イスラムというわけではない。タリバンに敵対する者が皆、反イスラムというわけでもない。私は、われわれがビンラディン個人に敵対しているとすら思っていない。われわれは、旧ソ連の敵から訓練を受けた彼の手下たちに敵対しているわけでもない。アフガニスタンの1派閥としてのタリバンに敵対しているわけでもない。われわれが敵対しているのは、あの地域で生まれた異端だ。

 

それは、導かれたカリフたち(正統四代カリフ)の時代に現れて、そのうち3人 — ウマル、ウスマーン、アリー — が殺される原因になったのと似た異端である。

 

われわれが被害者である攻撃や暗殺やテロを行っているのは、われわれの国々を抜け出し、傭兵としてアフガニスタンへ行った者たちだ。彼らは他者に代わってソ連軍と戦うためにアフガニスタンへ行った。ソ連軍はモスクワ寄りのアフガン政府の要請で同国に入り込んだにもかかわらずだ。現在起きていることも、これと全く同じだ。外国の軍隊が、当事国政府の要請で、その地域に入り込む。それが、ビンラディンがテレビのインタビューで引き合いに出した口実だった。

 

こうした集団が帰国して、われわれの国々で騒ぎを起こす。彼らは、邪魔者を手当たり次第に殺し続けた。女子供でも容赦しなかった。彼らの望みは、ムスリム信仰打倒を呼びかけ、破壊的な行動を広げることだった。

 

彼らは、自分たちと信念を異にする者全員を背教者と決めつける。たいていの大罪は大目に見るにもかかわらずだ。彼らの望みはただ1つ、未知のものに向かってひたすら進むことだ。彼らには信条も明確な目的もない。彼らが知っているのは、狂気のような拷問と殺人だけだ。彼らにできるのは、“ターグート”のような意味のない言葉をオウムのように繰り返すことだけだ。

 

“ターグート”とは、神以外に対する崇拝を意味する曖昧な言葉だ。彼らはこれを人を形容するのに使うが、アラビア語ではそのような使い方はできない。彼らは“イスラムのシャリーア”という言葉も使うが、これも曖昧な言葉だ。内容のない記号のようなものにすぎない。

 

われわれは、こうした集団に敵対する。われわれは、彼らがわれわれと戦うように、彼らと戦う。

 

われわれは彼らより強い。われわれは文明社会を守っているのであり、また、彼らが野放しにした異端や破壊から宗教を守っているからだ。これは必要かつ正当な自衛行為である。

 

われわれが彼らと戦うのは、われわれには新たなカリフ制を受け入れる気はないからだ。

 

われわれは、神命によってわれわれを支配しようとするカリフには従わない。神はその者に、そのような命令は下していない。その者は、神と接触していない。われわれはもはや、カリフ制は神の思し召しだと考えるほどお目出たくはない。

 

カリフ制は、イスラムからの偏向だ。偏向はすべて逸脱である。逸脱や、逸脱を奨励する者たちは、地獄へ落ちる運命にある。カリフ制は逸脱であり、異端である。預言者ムハンマドは、代理も後継者も指名しなかった。“預言者代理”など、聞いたこともない。モーセを助けるようにと神に命じられたアロンは例外だが。われわれは異端や、カリフ制やテロといった逸脱に反対する。ビンラディンやタリバンはこれについて、どんな立場を取っているのか?

 

神のみぞ知る。だが、それは、世間知らずで無知な者や、善意の者たちの前に開かれた扉だった。彼らは自らをムジャヘディン(イスラム聖戦士)と信じ、その扉を通って傭兵として戦いに赴いた。今、そのツケが回ってきたのだ。現在、同じように惑い、簡単に利用される集団の前に、似たような扉が開こうとしている可能性がある。彼らは、それに幻滅するかもしれない。

 

そうなれば、彼らは帰国し、アメリカへ行ってテロや狂気の沙汰を行うだろう。彼らの先輩たちと同じようにだ。そうなったとき、われわれは前回と全く同じく、自分で蒔いた種を刈り取ることになる。私は自分の義務を果たし、警鐘を鳴らした。

 

われわれは、複雑で包括的な新しい、いくつもの課題に直面している。宗教や倫理や言語や地理に根差した偏見は捨て、分別を働かせて、それらを文明的、人道的、客観的な視点から見るべきだ。独善的傾向や時代遅れのパターン、ミサイルや爆弾は、こうした課題と取り組む際は役に立たない。

 

われわれは、すべてを見直さなくてはならない。何一つ当然と思ってはいけない。われわれには、自由に使えるものなど何一つないのだから。

 

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