アフリカの安定化が急務
近代アフリカの創設者の努力の甲斐あり、アフリカの直接的な植民地支配の時代は終焉を迎えた。彼らの継続的な指導力が、アフリカ諸国の独立を確固たるものとしたのだ。
こうした努力は、結果的にアフリカ統一機構の設立をもたらした。この偉業は、選挙に基づく指導者の選出および任期更新を実施しなかったことによって実現したのだ。つまり指導者の就任期間は、選挙周期により制限されるのではなく、生涯に渡る尽力に裏付けられた指導者としての正当性に基づき継続していったのである。
アフリカの指導者達は、植民地主義とその追従国による占領という束縛から市民を解放した。しかし支配国は、アフリカの指導力と解放運動を終息させる目的で陰謀を企て、その結果、エンクルマとケタは失脚、ルムンバは殺害された。
その後、新時代として一連の軍事クーデターが発生し、アフリカは安定性を失った。軍事政権下における安全性への懸念が、社会経済発展よりも優先事項となったのだ。
アフリカの政治発展における第三の時代は、多党選挙の時代である。西洋諸国から導入された本制度は、経済支援の条件としてアフリカに課せられたものだ。
この制度により、アフリカは再び不安定な状況に陥る。選挙は、クーデターの一形式にすぎなかった。唯一の違いは、クーデターは軍事的、選挙は民政的な特性を有していることだけだ。政権交代の原理の責で、就任中に社会経済発展の政策を完了できた政治的指導者は一人もいない。任期の終了まで時間を稼ぐことが、選出されたアフリカ政治指導者の特性となってしまった。
選挙の直接的な結果が、現在の暴動である。選出された指導者は、憲法上の就任期間が満了する前に失脚してしまう。選挙の結果は、常に容認されるわけではないため、選挙結果をめぐる争いが勃発した際に、民族、地域、国境関連の問題が急増する。リベリア、コートジボワール、サントメプリンシペ、中央アフリカ、チャド、スーダン、アルジェリアのケースがその例だ。
革命または解放運動の結果として権力を掌握し、アフリカ社会の様相を一変させるため、革命的または漸進的な政策を採択した指導者もいた。しかし、そうした国家でも、一旦、多党選挙というゲームの罠に嵌ってしまえば、指導者の落選で革命的政策を実現する機会を失ってしまう。
このような例は、ジンバブエ、モザンビーク、南アフリカ、ナミビア、ウガンダ、エチオピア、エリトリア、ブルキナファソ、セネガルなど、枚挙に暇がない。実質的な進展を切実に願う指導者のリストは長い。
アフリカは、早急な政治的安定を要している。政権交代の原理は、過去も未来にも、理想的な安定をもたらさないことは疑いようのない事実である。政治的安定なしに、経済変容に向けた戦略的政策を実施することはできない。
安定性を実現するための不可欠な要素は、持続的かつ安定した政治的指導者の役割、ならびに政治的、社会的、司法的枠組である。
これを享受する西洋諸国を模倣しようものの、アフリカでは安定性に不可欠なこれら要素が深刻に欠如している。西洋諸国の君主は実際の支配はしないが、特に緊急事態などの状況下では不可欠な枠組を定めることができる。
こうした君主制が存在しない場合、憲法または最高裁判所が定める憲法的枠組がその役割を果たす。裁判所の判決に対する完全尊重と遵守は、法律によって保証される。しかし、こうした制度はアフリカには存在しない。存在しても、形式だけで内容を伴わない。
アフリカのあらゆる部門が、安定性と枠組のジレンマへの解決策を見出すべく真剣に取り組まなければならない。
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